シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

パラレルワールドを繋げるカギ

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今日はジムでトレーニングをしてきた。

ローテーション的に脚の日だったので、スクワットから始めて数種目を1時間程度で終えて帰ろうかなと思った。

そこで少し考えた。

GW最終日の明日はジムに来ない予定(なぜなら全身筋肉痛になるはずだから)。恐らく次にジムに来るのは明後日の月曜日、背中のトレーニングをやる予定。ただし、何事もなければ良いが、何かが起きると残業になって、ジムでトレーニングできる時間は短くなるかもしれない。ましてや月曜日は久々の出勤日、無事に帰れるかどうかは分からない。しかも、明日はまだ休日。家族で出かける予定はあるけど、遊びに行くだけだから今日ハードにトレーニングしても体はゆっくり休ませられるはず。

 

ということで、

そのまま続行して、月曜日にやる予定だったトレーニングの一部分をやっていく事にした。脚のトレーニングを終えていても特に影響ない箇所と言えば、やっぱり背中のローイング種目。これを3種目やって、終了。予定よりプラス1時間。脚はふらつくし、腕を伸ばしたりすると背中がつりそうな感じが漂っている。完全にオーバートレーニングだ。でも、気分は爽快。いやーやり切った。非常に満足感が高く、良い気分で帰路につく。

 

家に帰ると、「明日の外出は無くなった」と聞かされる。子どもが晩御飯のあと吐いたらしい。当人に会うとケロッとしてるが、子どもの事なので体調が悪い可能性が高く外出は控える事に。そりゃそうだ。

さて、これでGW最終日は何も予定が無くなった。起きるまで寝て(当たり前か)、ゆっくり朝から買ってある本を読み進めて、洗車でもして、また本読んで、てな感じで過ごすつもりなので多少夜更かししても良いかなと思って、深夜家族が寝静まった家の一室でさっきまで読書タイムを満喫。体は今日のトレーニングで疲労していて、目の辺りに眠気が漂っているのがわかるんだけど、読んでる本がどれも面白くて「もうダメだ」というMAXの眠気に到達しない。最高に楽しい。

 

読んでた本のうち一冊は『サブカルの想像力は資本主義を超えるか(著:大澤真幸)』この本の帯には「様々な社会現象を起こしたフィクションから現実を抉り、見合いを描く白熱講義!!」と謳われている。そのフィクションの1つに『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(著:増田俊也)』がある。

さっきちょうどこの本が取り上げられている箇所を読んでいた。

その中に、人間にはものを考える時に「信じること」と「知ること」という二つのスタンスがあるという項があって、その一つの例として、次の記述があった。

皆さんは全員、自分はいずれ死ぬことは知っている。「俺は死なない」と思っている人は、いないわけです。しかしほとんどの人が、自分はいずれ死ぬことを計算に入れず、まるで永遠に生きていけるかのような感じで、生きている。いずれ死ぬことは、事実として知っているけれども、本当には信じていない。そういうことが人間には起きるのです。

これを読んでいて、なんというか「まさに、その通りなんだよな」と思った。

最近、ずっと考えている事の一つにまさにこの『死生観』とも言えるような事がある。「「自分が死ぬことを信じて生きている人」と「永遠に生きていける感じで生きてる人」はあらゆる事が違ってくるよな、まず使っている言葉の意味が違う、見えている時間の長さが違う、感知できる物事の幅や広がりが違う、などなど、ホントに全て違ってくるよな」なんて。最近こういう事に気づいて、ずっと考えている事でもあった。

こういう、普段自分が考えてる事を明解にしてくれる本や著者に出会うとすごく嬉しいというか、「買って良かった、読んで良かった」という気になる。

更に言うと、この本で取り上げられてる『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(著:増田俊也)』は、個人的に非常に好きな本で、好きな作者で、好きな題材で、思い入れのある本なので、取り上げられていてうれしさ倍増というか、読みながらそんな気持ちだった。木村政彦については、書きたい事がたくさんありすぎて止まらなくなりそうなのでとりあえず今日はこの辺で。

 

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