シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

超えろ!撃ち抜かれるその前に。

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昨日のブログで1年後の目標を書いてみた。

 

すると不思議な事に(いや、当たり前なんだけど)、

先の目標を定めた事で、ほんのちょっとずつ行動が変わった。

正確には、行動を変えた、とも言える。

 

具体的な行動としては、今まであまり頓着してなかったプロテインの摂取をこまめにするようになった。まず朝イチの朝食前にプロテイン摂取。そして、これまで一度も会社に持参した事がなかったプロテインをいつでもすぐに摂取できるように小分けにして持参したり。

さらに、昼食はこれまで忙しさを言い訳にして食べない事も多々あってあまりお腹が空くこともなくなってきていたけど、カタボリックな状態を避ける為に何かを口にして空腹状態を作らないようにしたり。

いつもだったら全身筋肉痛の日は絶対にジムに行かなかったのに、ジムに行って、できる範囲でトレーニングしたり。

キツいトレーニングをメニューに組み込んでトライしたり。

ジムに行くとついついやり過ぎちゃうけど、体調に合わせて早めに切り上げたり。

etc

というのが具体的に変えた行動だ。

 

こんな風に行動を変えたのは、設定した目標に対して、これまでの取り組みでは到底辿り着かない事が見えているから、行動を変えざるを得なかった。

これを指して『行動が変わった』という表現をしている。

つまり、行動は自動的に変わるように言われるけど、実際には自分で変えている。行動するのは自分の意志で、自分が行動するので、至極当たり前なんだけど。

でも、この『行動が変わる』という体験をしたことのある人じゃないと、この感覚は分からないんだと思う。

 

何が言いたいかと言うと、ウチの店の若手たちをイメージして言っているんだけど、彼らは、『行動が変わる』という事を、言葉通りイメージしているようだ。

いや、もちろん、ここまで俺が書いてきたのも言葉通りなんだけど、そういう意味では無くて別の意味の言葉通り。えーと、何を言っているかわからなくなってきたけど、もう少し伝える努力をしてみると、

ウチの店の若手たちは、『行動が変わる』という言葉を、『行動』という何か得体のしれない主体のようなモノと捉えていて、自分の意志や希望を勝手に汲んでくれて、その『行動という得体のしれない何か』が『勝手に、自然に、労せずに』『変えてくれる』んだと思っているように見えるのだ。

これで何となく伝わっただろうか。

 

そして、その一番顕著な例が、今でもウチの店で伝説となっている20代後半のM君が、先輩Tさんにいつもしていたという話だ。

 

M君「俺、いつも家のトイレ掃除してるんす」

Tさん「へー、毎日やってるの?」

M君「そうなんすよ。家の中では、俺の役割なんで。でも俺、トイレ掃除好きなんす」

Tさん「そうなんだ(なぜ店のトイレ掃除はやらないのだ)」

M君「はい。トイレ掃除するとお金持ちになるって言うじゃないすか?」

Tさん「あー、なんか聞いた事あるかも(だったら店のトイレも掃除しろ)」

M君「なんで、俺、家のトイレいつも掃除してるんすよ!」

Tさん「へー、お金持ちになりたいんだ?(それより店のトイレが先だ)」

M君「そうなんすよ。俺、金持ちになりたいんす」

Tさん「トイレ掃除とお金持ちってどんな関係あるの?(いいから掃除をしろ)」

M君「いや、それはわかんないんすけど。でもお金持ちになるって聞いたんで」

Tさん「・・・そっかー。頑張ってね(相関が分からないのにやってる???)」

 

この世の中には、トイレの神様がいるって言うしね。

きっと、いつか、M君にも良い事あるのかもしれないよね。

 

いや、ない。

 

もちろん、運とか縁とか、そういう目に見えない何かもあるとは思うけど、それは目に見えないんだから予測する事も計算に入れ込むこ事も予定に組み込むこともできないし、それはしてはいけないんだと思う。

 

体のグッドシェイプも、仕事の成果も、この世界の認知も、全ては己の行動だけが変えていくんじゃないのかな。

 

その為には、自分がノレる物語を自分で紡いで、脳内ストーリーで脳内麻薬を出しまくって、進んでいくしかないじゃんね。

 

まさに、オーバー・ザ・オーバー。

日本語にすると、

超えろを超えろ。

 

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