タッグワークの真髄は、クリエイトする力なんじゃないだろうか?
※画像は往年の名タッグ『ハート・ファウンデーション』のジム・ナイドハート(ヒゲ)とブレット・ハート(ロン毛)※
お互いに、同じ目的をもってそこに存在する。
お互いに、頼る事もあれば頼られる事もある。
お互いに、自分にできる事は何かを考えて、できる事があれば助太刀をする。
お互いに、相手を尊重して出しゃばり過ぎない。
お互いに、相手の考えてる事を言葉を介在させなくてもなんとなく読み取れる。
お互いに、気持ちの良い連携が取れている状態。
お互いに、息を合わせると凄い事ができるのを知っている。
今書いてみたのは、俺が信頼している仕事仲間との間の関係性の話。
だけど、書いていて思ったのは、
これって、ありとあらゆる共同作業のパートナーに言える事だ。
恋人や夫婦はもちろん、野球のバッテリー、ダブルスで行うラケット競技、プロレスのタッグパートナーなど。ペアだけじゃなくて、チーム競技ももちろんそうだろう。
じゃあ、仕事はどうか?
『仕事』と書くと上に挙げた例も仕事だろうと言われるかもしれないが、この場合の仕事は例えば俺の場合だと『会社における仕事』の事だ。
果たしてこういう事は、日々起こりうるのだろうか?
いや、ない。
即座に、そして断定的に、そう言わざるを得ない。
それはなぜか。
それはきっと、「同じ目的をもってそこに存在していない」からなんじゃないか。
同じ会社で一緒に仕事をしているというだけの関係性なので、その会社で仕事をする目的が同じでなければ、当然、タッグパートナーのような連携は取れない。
「このチーム(ペア)で勝ちたい」
そんな強烈な想いを誰もが持たないと、こんな理想の連携は取る事ができない。
「え?想いがそれぞれ違うなんて、そんなの当たり前じゃん。だから組織の中に仕組みやルールがあるんでしょ?」
そんな声がどこからともなく聞こえてくるような気がする。
だけど、正直に言って、俺はそれは嫌。
何度でも言う。
そんなの嫌。
絶対に嫌。
どうせやるなら、同じ目的を持って勝負に臨んで、勝っても負けてもその過程も結果も全部一緒に噛みしめたい。
そうじゃなけりゃあ、一緒に勝負に臨む意味なんて無いんじゃないかな。
同じ想いが持てないなら、そんなやつと組んで勝負するのなんて真っ平ごめんだ。
こっちから願い下げだ。
最近、そんな事をよく考える。
「組織で大きな事を成し遂げるために個人が組織のルールに則って動く」
「1人じゃできない事も組織ならできる」
よく聞く組織論、全くその通りだと思う。
確かにその通りだと思う。
だけど、
と言うか、
だったら尚更、
まるでプロ野球の球団のチームメイトの如く、
まるでプロレスのタッグパートナーの如く、
全員が個人の力を極限まで高めたうえで、
全員がまずチームの成員になる為に死ぬほど努力をしたうえで、
チームで勝負する場に臨んで欲しい。
そのうえで更に、
チームの力が成員個々の能力の単なる足し算で終わるんじゃなくて、
パーマン達がパータッチをすると時速119kmの倍になるかの如く、
いや、もっとだな。
まるで、
テンコジタッグの、
「1+1は2じゃないぞ!オレたちは1+1で200だ!10倍だぞ10倍!」
数字が持つ真理すらも裸足で逃げ出す程のこのクリエイトする力。
そして、
そのタッグワークが生み出すこの迫力。
こんな素敵なチームで仕事をしていたい。
それでこそ、毎日楽しくいられるってもんじゃないのかな。
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