廻る廻るよ時代は廻る。の続き
起きた出来事については、クヨクヨしても仕方ない。
あの時、あんなことしなければ。
あの時、ああしておけば。
そんな風に考えてしまうこともあるけれど、考えても時間は巻き戻せないので、やっぱり、起きた出来事についてそんなことを考えても仕方ない。
だけど、
なぜその出来事が起きてしまったのか?
なぜその結果に辿り着いたのか?
理想的な結果に辿り着くには何がどうなっていたら良かったのか?
そんな事について考えるのは、とても有意義だと思う。
いわゆる、対策を立てるという事なんだと思うけど、こんな話は正直誰でも知ってる話だ。ホントに誰でも、それこそ学生でも子どもでも知ってる可能性が高い。
だけど、この「クヨクヨする」事と「対策を考える」事を明確に切り分けて、適切なタイミングで適切に使い分けられる人は、あまり多くないと感じる事が多々ある。
よく耳にするのは「私、引きずっちゃうんですよね」的な言葉だ。
自分の性格上の特性だから仕方ない、自分の考え方の特性だから仕方ない、そんな風に捉えてる人の多さは、俺以外の人も感じるのでは?
もしかすると、これの使い分けを自分の意志で行うことができるというのは、「能力」なのかもしれない。
この「能力」がその後の再発防止や原因究明などを生み出せるかどうかにかかってくるのか?
同じとこを回り続ける円と、どんどん広がりながら上昇していく螺旋。
どっちが好みなのか、それによって手に入れる事のできるモノが変わってくるのかもしれない。