シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

『ジョーカー』その生き様


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・仕事を進めるうえでの『正規ルート』での進め方
・仕事を進めるうえでの『ジョーカー的』進め方

 

この違いが分からない人がいる。

 

この『ジョーカー的進め方』には、いわゆる”下話”とか”根回し”とかも、ここに含まれてくるんだけど、全ての仕事を『正規ルート』だけに則って進めようとする人たちの何と多いことか。

 

仕事をする上で最も大事にしなければいけないのは、その仕事の目的を果たす事だ。
これは、どんな仕事においてであっても揺るぎないものだ。いわゆる大前提となるモノだ。

 

この『目的』を果たす時に、”人のためになる”とか”三方よし”とか”やりがい”とか”達成感”とかがあると、更により良い仕事になる。これも間違いのないものだ。

 

だから、まず『目的』を果たすために、何をどう進めるのか。そして、その進め方でより良いものにするために、どうしたら”三方よし”になるのか。これを考えて実行できる人が『仕事のできる人』になる為の唯一の方法なのだ。

 

で、冒頭の2つの仕事の進め方がどう関わってくるのか。

 

まず、『正規ルートの進め方』でやっていくとすると、そのルート通りで何の問題も起きなければ、というか、何の問題も起きそうになければそのまま進めて良いはずだ。だけど、その時に大抵出てくるのが「正規ルートに則って進めようとすると上手く進まない」という問題だ。


それもそのはずで、『正規ルート』や『ルール』というものは”あらかじめ”定められている場合がほとんどだ。その”あらかじめ”定められた枠組みに、今目の前の全ての状況を含めた『仕事』を当て嵌めて進めようというのだから、その『仕事』が余程単純なモノでなければ、そうそううまく当て嵌まるわけがなく、上手く進まなくなるのだ。


上手く進まないという事は、当然『目的』を果たす事から遠ざかるという事だ。その時点で、すでに仕事として支障を来している。『目的』が果たせないのであれば、その仕事は、仕事ではなく”似非仕事”なので、実質的にはそのままやってもしょうがないモノに成り変わっている。つまり、無駄以外のなにものでも無いという事になるのだ。

 

だけど、この『正規のルート』に拘るあまり、無駄な事をし続けて、その結果、成果に繋がらずに疲弊している人達が本当に多いのだ。

 

これは、俺のいる会社の中だけの話ではない。


仕事のうえで、様々な業界・様々な職種・様々な役職の人達と会って話をする事が多いけど、”似非仕事”で疲弊している人達の多さにビックリする。

 

もちろん、「サラリーマンだから上からの指示命令とかルールには従うしかないだろう」というのも分かるし、その通りだと思う。むやみやたらに喧嘩して生きていく訳にもいかないし立場があるのもよく分かる。
でも、もしそうだとしたら、それなりの、色んな事を諦めて受け入れたなりの、それに相応しい身の処し方があるはずだ。間違っても「俺、仕事できるんで」みたいな言動はできないはずだし、そんな態度はしてほしくはない。

 

さもなければ、たくさん考えてたくさん動いて”下話”や”根回し”をたくさんした上で『正規のルート』にさも則ったように周囲には見せながら、実際には、実質的な成果を生めるように『ジョーカー的な進め方』を選択して『目的』を果たし、三方よしを実現させられるように奔走する必要があるんじゃないのかな。

 

少なくとも、『正規ルート』を頑なに守る事だけで、仕事ができて目的が果たせるようになるわけじゃない。という事だけは、若いうちから覚えておいて欲しいなと、ウチの若手社員と話していて思ったのだ。


「ルールは守るためにある」これはもちろんその通りだ。
だけど、社内ルールであれば、そのルールが一体何のためにできたのか?まずはそこから考えてみるといいのかもしれない。

その上で、「いや、それでも正規ルート(ルール)に則って進めるのが大事なんだ」と思うなら、その通りやれば良い。

 

だけど、「仕事をやる以上、成果を出す事にこだわりたい」と思うなら、その通りやれば良い。

 

どっちを選ぶのも、自分自身。


そして、


選んだ結果を引き受けるのも、自自分自身。
どっちでも好きな方を選べば良い。

 

自分が納得できる方を選べば良いのだ。
ただそれだけなのだ。