シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

物語はまだまだ続くよどこまでも


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俺の後ろには、歴史が連なっている。
そんな事を改めて考えさせられた。

今ここにいる俺には、これまでに生きてきた40数年間に渡る歴史があるのは当然として、俺がこれまでに経験してきた事や、出会ってきた人、師事してきた人にも、同じようにその背景には歴史がある。

例えば俺がやっていた格闘技や柔術も、歴史を辿ると、グレイシー一家の祖であるエリオ・グレイシーとその師である前田光世にたどり着くし、修斗創始者である佐山サトルとその師匠であるアントニオ猪木、そして更にその師である力道山にたどり着く。更に、力道山と因縁のある不世出の柔道家木村政彦エリオ・グレイシーと因縁がある。エリオと木村の源流を辿ると柔道の創始者である嘉納治五郎に辿り着き、更に辿っていくと古流柔術という戦場での組打術にまで辿り着き、結局はそもそも総合的な武術であったのだ。つまり、総合格闘技は最新の格闘技でありながらも、ある意味合いにおいては、その源流に辿り着いたとも言えるのだ。そして、これらの系譜のなかには、所謂真剣勝負と呼ばれる格闘技側から忌み嫌われる存在でもあるプロレスも内包されているのだ。更に、その内包されているプロレスの中には、これら全ての格闘技や武術の要素が組み込まれているとも言えるし、組み込むことも可能なのだ。これからまた新しいプロレスが出てくるかもしれないので、まだまだプロレスと格闘技から目が離せない。

こんな風に、歴史を辿ることで新たな物語を紡ぐ事が可能になり、その物語によって更なる歴史が創られていくのだ。

そして、これは俺が持っている背景のほんの一部分である。その他にも連綿と続く歴史があるけれど、それらについて事細かに書いていくには時間が足りない。

だけどこれだけは言える。
これらの歴史を背景に持った俺とその仲間達によって、新たな物語が紡がれていくのは間違いない。

 

歴史を創ってきた先人達の想いを、勝手に受け取って、勝手にそれを動力源に変えて、俺達がその物語に続いていくような新しい行動を刻んでいくのだから。

例えそれが、プロレスや格闘技のリングやマットの上じゃなかったとしても、俺達が、命を燃やして闘うその場所が例えどんなフィールドであっても、そこが俺達のリングなのだ。これから大いに暴れまわるぜ