シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

来るぞ来るぞもうすぐ来るぞ

f:id:shiotapathos:20190313224132j:plain

 

3月も半ばになってきた。

 

もうそろそろ、平成30年度が終わろうとしている。4月になったら、新年度が始まるのだ。春の気配もどんどん濃くなってきて、コート無しでも平気な日が増えてきた。既に、花見の予定も立っている。新しい元号が決まるまでもう2週間程度だし、平成も本当に終わりを迎えようとしている。新しい季節と新しい時代が始まるのだ。

 

期待と不安と焦りと希望と、そんな、ポジティブとネガティブが混じり合ったなんとも言えない気分が、自分の中に常に漂っている感じがする。

 

でも、今はそんな気分が嫌じゃない。

何だか知らないけど、そんな気分を前向きにとらえている。

いや、「何だか知らないけど」なんて書いておきながら、実は、理由は結構ハッキリ分かっているのだ。だから、前向きだし、今のところ大丈夫なんだろう。

 

最近思うんだけど、「一人じゃない」というのはきっと強いのだ。

これまでは、何が起きても誰が何を言っていても、結局「俺は一人だ」と思って生きてきた。結婚していても子どもがいても、それとは全く別問題として、孤独はいつも付きまとうのだ。だから、俺は一人だとずっと思ってきたのだ。もちろん、家に帰れば家族がいるので、本当の意味では一人じゃない。それも分かっている。だけど、この世界で生きていく以上、いつだって闘う時は一人きりなのだ。闘う時というのは、つまり、恐怖とか不安とか焦りとか責任とか重圧とか敵意とか妬みとか蔑みとか値踏みする視線とか、そういう類の、いわゆる、一人で立ち向かわないといけないやつの話だ。いわゆる、外にでると世界から向けられる「シオタってなんだ?」というそういうヤツの話だ。

 

だけど、今は違うのだ。

もちろん、上に書いたようなモノとは、やっぱり一人で闘う必要はある。だけど、同志である仲間がいるのだ。今は。だから、俺は一人じゃないのだ。最後の最後は一人でやり切る必要があるけど、仲間がいれば心強い。

 

俺は、昔から『週刊少年ジャンプ』の愛読者だった。

ジャンプの世界では、仲間の存在は大きい。

だけど、俺にはこれまで仲間と呼べるヤツラは数える程しかいなかった。そして、その仲間は、一緒に闘う仲間であるケースはほとんどなかった。常に、孤独に闘うしかなかったのだ。孤独に闘う人間として、共感する仲間というのが分かりやすいのかもしれない。

 

だけど、今は、一緒に闘う仲間ができた。

お互い、同じ目的に向かって協力しながら一緒に旅をする仲間だ。

まるで、ジャンプの世界のような。

まるで、ドラクエの世界のような。

こんな事が、俺の人生の中で起きるなんて、これまでは想像もしていなかったし、仲間がいると大抵の事が解決していくというか、大抵の敵を倒す事ができるのだ。一緒に闘ううえでこんなに心強い事はない。

 

そんな事を、毎日実感しているのだ。

 

 

長らくお待たせしました。

ようやくやって参りましたよ。

シオタとその仲間が主人公として活躍する物語の開幕が。

今はまだプロローグの段階だ。

 

もうすぐやってくるぞ、このセリフを言う時が。

 

ずっと俺のターン!」