シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

呪いに対抗しうるのは、自由なる闘いだけなのかもしれない


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今日は、会社の最終出勤日だった。

引き継ぎも、荷物の片付けも全て終えて、終業後は送別会を開いてもらった。
俺以外にも何人かの退職者がいて、盛況の送別会だった。

今までの事を思い出すと、良い思い出とも言い切れない事はたくさんあったし、楽しい思い出よりも大変だったことの方がたくさんあった事を思い出す。だけど、それらは俺だけの問題だから、これからもこの会社で仕事を続けていく人達には関係の無い話だ。だから、最後は『感謝』だけで終わろうと決めていた。

でも、最後に、会社の代表からの言葉で、明確な呪いが向けられたのだ。俺と俺の同士であり同じく今日で退職するMさんに対して。

俺と同士のMさんは、これから一緒に働く事になっている。社外にいる仲間と一緒に数名で起業するのだ。その事を、ずいぶん前から会社に伝えてきいて、今日の退職になったのだ。だけど、俺達が会社を辞める事が恩知らずであり、起業を勝手に決めた事が裏切りであり、この会社以外の会社の為に力を使う事が許せないという話を、ずっと目線を俺に送り続けなが代表が延々と話続けていた。更に、話の最後には、俺達の起業はうまくいかないだろう、考えが甘過ぎると言われていた。

それを聞いていて、とても寂しい気持ちになったのだ。曲がりなりにも、自分を雇って成長の機会を与えてくれた会社から、ここまでの呪いの言葉を吐かれるとは。想像もしていなかった。

でも、ありがたい。

お陰さまで、何の躊躇も無く、何の未練も無く、我々自身の起業とその成功に向かって邁進できるってもんだろう。

もう、俺達の耳にはどんな呪いの言葉も届かない。俺達が耳を貸すのは、応援の気持ちを持って関わってくれる人達にだけだ。
それ以外のヤツラの言うことは、全て単なる呪いなのだ。

呪いには、もうかからない。
なぜなら、会社の呪いよりももっと大きなところで、自由に闘えるのだから。

自由な闘い=ルチャリブレ

俺も、ルチャドーラのように、時に華麗に、時に泥臭く、そんな闘いをこれから世間で繰り広げていくのだ。