シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

老兵は死なず、ただ立ち去るのみ

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先日、家族と義父(60代後半)とご飯を食べに出かけた。その時の話だ。

 

お店に向かう途中の交差点が赤信号だったので止まった。
ふと、道路の脇にある公園に目を向けると、結構な人数のお年寄りがたくさん集まってゲートボール大会を開催していた。本当に何気ない日常の風景だ。そんな様子に目をやりながら赤信号を待つ。その光景を見た義父との会話だ。

 

義父:「子どもが少なくなって、老人増えてるよね」
シオタ:「そうですね。ゲートボールしてる人たくさんいますね」
義父:「あんなに元気な老人たちが子どもが集まる公園を老人が占拠したら、子どもが遊ぶ場所無くなっちゃうよ」
シオタ:「まあ、お年寄りもたまにはみんなで集まってゲートボールしたいんじゃないですかね」
義父:「今の年寄、俺もそうだけど、俺より10歳上位までの人だとさ、もう好き勝手してきた人達だよ」
シオタ:「好き勝手?」
義父:「そう。グループサウンズだのなんだのって、好き放題やって追っかけたりして親の言う事なんか聞かずに、散々楽しんできた世代だよ。俺だってそうだもん」
シオタ:「なるほど」
義父:「80過ぎの人は戦争時代経験して苦労してきたんだから、社会が手厚い保障してかないといけないと思うけど、俺くらいの世代は大きい顔しちゃダメだと思うんだよな。どうせ老人は早けりゃあと何年かしたらいなくなるんだからさ」
シオタ:「いやいや」
義父:「ウチの近所の施設あるでしょ?あそこにも俺より若い人が入ってるくらいだから。60歳くらいって言ってたかな。そういう人もいるから、まあ、必要っちゃ必要だけどさ」

 

なんていう会話があった。

この話をした時に、切なさももちろん感じたけど、何よりもその年代を生きてきた人の正直な肌感覚というか、その時代の空気を知っているってやっぱり重要だなと感じたのだ。

 

今は所謂「老人」という枠に入ってしまった自分について、老いを認め、自分が生きてきた時代や今の自分とその周りの状況と社会情勢を素直に事実として受け入れて分析した結果と、これからの未来をどうしたらもっと良くなるかを考えての世間話をする義父にあらためてリスペクトを感じた。

もちろんそう言う義父達の世代が、この国この社会にたくさん貢献してきたことは事実だし、それは当然分かっているし、本人も分かっているはずだ。だから、もっと今以上に現役のお年寄り世代として思いっきり社会に対して権利主張しまくったって、それは当事者として別に何の問題も無いんだとは思う。
「散々頑張ってきたんだから、年取ってからはゆっくり楽しく暮らしたい」そう思うのは当然だろう。
だけど、それは今の現状からすると、この国この社会の行く末にとって得策ではないという事が、ハッキリ分かっているからこその意見なんだと思う。
義父自身、今を生きている高齢者に数えられてしまう存在であるにも関わらず、その高齢者という世代にとっては、得策とは言えないような策だったとしても、それを自ら受け入れる事を考えているのだ。

 

義父から見たら孫の中の1人であるウチの子ども。
そういう身近な『未来』の象徴である孫たちの存在が、大切だと思ってもらっている。
その大切な存在が楽しく幸せに暮らしているという事があって、それを見ている感じている事が自分の楽しさや幸せに繋がる。だからこそ、更に誰かの幸せを心から願って関わり、また自分の幸せに繋がる。
そういう、いい方向に作用するプラスのスパイラルを生むための、視点の広さというか、捉える世界の枠組みの大きさというか、人間の器のでかさというか。


「そんな意見はきれいごとだよ。そんなのまっぴらごめんだ。散々頑張って働いてきたんだから、引退した後くらい好きな事やったっていいだろう」

本来だったら、こう言うのが当たり前だろう。
当事者だったら、こう考えるのが当たり前だろう。
だけど、義父は、立派な人物は、こんな事は言わないのだ。

 

義父が言っていたこの言葉が思いっきり突き刺さる。


老い先短いジジババが大きな顔して威張ってちゃダメだよ。未来のある子どもとか若者が笑ってないと。自分達が子どもだったり若者だった時だって、大人がそうやってくれたんだからさ」


こんなやり取りを思い出して、今こうやって書いてみて、あらためて自分自身がいかに小さい人間なのかを思い知っている状態だ。

 

俺も既に40代前半。
残りの人生はあとどの位なのか。
いつ死ぬか分からないんだからこそ、自分で人生を楽しくするのと同時に、この先の社会というか世界というかを今の子どもや若者たちが少しでも生きやすくなるように、その為に残りの時間を使わないと。
そして、そのどちらも叶えるという事が矛盾しない状態を実現させるというのが、これから俺がやらないといけない事なんだ。

 

そして、いつか今の義父と同世代になった頃に、俺も同じように言える人物になっていたい。

そんな事を、あらためて思う。