シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ありもの使って編集したらブリコラージュの出来上り


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土壇場で、またもや、やって来た。

いつものヤツだ。いつもの、前に進んでいく、強烈な衝撃を伴った新しいモノが生まれた。

ギリギリになって飛び出てくるんだ、いつだって。もっと前から準備できていたら良いのになあとは思うけど、そういう事ではないのだ。ギリギリになるまで、考えて考えて、煮詰まって、もうこれでいくぞってなった時に、恐らくそのギリギリまで考え抜いたというそのモノとそこまでの思考の軌跡がもたらす、最後の煌めきなんじゃないかとさえ思えるような、これまでにない新しい発明。それは、そもそもこれまでこの世界に存在していなかったけど、一見すると、これまでにもこの世界に散在していたモノタチで出来ている真新しいモノ。つまり、編集の賜物とも言えるのだ。
そんな、発明品。他のだれにも創れない、真新しいモノ。もうすでにあるものを、並び替えて、順番を考えて、全く新しいモノとして組み直す。編集作業の力はすごい。0から1を産み出すのも凄いけど、1を100にも千にも億にも変えることのできる編集のもつ力は計り知れない。まさに、掛け算の力だ。そういう力は、後から身に付けることも可能らしい。でも、それを身に付けることがてきるのは、恐らくある程度の力を持っている人に限られてくるのだろう。
「努力に遅いなんてことはない」そんな耳触りの良い言葉を素直に聞き入れて、それじゃあ一丁やってみるか!なんて思えるほど若くはないし、そもそもそんな言葉を信じて従ってみる程、自分について無知な訳でもない。もちろん、自分の事はなんでも知っているという程の愚かさも無いけれども、ある程度の事柄であれば、俺が努力をする事で身に付けられるのかどうかを判断できるだけの力はそれなりに備わっていると自負している。それくらいの人生経験は積んできているのだ。その経験のなかには、努力をした末に、身に付けることのできたモノとできなかったモノが山ほどある訳なのだけど。

そんなわけで、俺が手に入れることのできない力を備えている人には、当たり前に敬意を抱くわけなのだ。それが俺達の仕事に必要で有用であれば尚更だ。そんな異能力者達が、自分の仲間であるという心強さがどれほどのものか。この気持ちを誰かと分かち合えると良いなあといつも思っている。

おかげで、今回もとんでもないものが出来上がった。これが、俺達と世界との架け橋になる。そういう類いの、とてつもない破壊力を秘めた新しい武器。これで、この世界に風穴をあけてやるのだ。

待ってろよ。