シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

『闘い』それは魂と魂のどつきあいだ!

 

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人生は闘いだ。

 

今日も、会社で怒り心頭に発する出来事があった。
社内で起きるあらゆるトラブルはコミュニケーションの行き違いが原因だろう。
例えそれが、言葉の意味の捉え違いや、相手の行動の解釈の違いだとしても、
結局はコミュニケーションの行き違いという事になるのだろう。

今日の出来事もその類だった。

そもそも、俺が社内で誰かに関わる時には、当たり前の話だが、役職がついて回る。
「シオタが何かを言う」という時には、「”係長という役職に就いている”シオタが何かを言う」という事に他ならない。
これは俺がどう思おうと、相手がどう思おうと、関係なく必ずついて回る。
会社という組織の中での話なのである意味で仕方のない事だ。
なので、シオタから何かを言われた社内の人間、特に俺の役職より下の職位の人であれば、
「上席から言われた」事柄として、俺の言う事を受ける事になる。
これも仕方ない。

だからこそ、俺は社内の誰か、特に日々自分が直接関わって面倒を見てる店舗内の若い社員達以外の例えば他店舗の社員で俺の下の職位の役職者達に『モノを言う時』はかなり気を使っているつもりだ。
とは言え、あくまでも俺から見た時の『気を使ってる』なので、相手から見たら『気を使われてる』とは思えない事も多々あるのかもしれない。

で、恐らく、今日、そういう齟齬が起きたのだ。

他店舗の店長が俺の直属の上司に提出していたメールが俺にもCCで入ってきた。
もちろん、今回に限った話じゃなく、いつもこの内容のメールは俺にもCCで入ってくる。
実質、俺の上司よりも俺の方が直接関係する内容のメールだからだ。
内容としては、今後の店舗運営スケジュールの内容が添付されていて、
そのスケジュールの中身が、実際に予定されている内容と若干ズレていたのだ。
恐らく、以前発表された内容に即して作成したと思われる。
ただ、このスケジュールに修正が加わったのはかなり前の話なのだ。
なので、修正後の内容に即したスケジュールを提出しないと、俺の上司である『50代女性課長(お局兼務・荒俣宏先生に激似)』から烈火の如く嫌味を言われるのが目に見えていた。
その為、外出中の上司の目に触れる前に、こっそり教えてあげようと思っ電話をしてみた。

しかし、このちょっとしたお節介心が、相手からしたら相当にデカくいらないお世話だったようだった。

そっと教えてあげたつもりだった俺は相手の店長の言葉に面食らった。


店長:「これ、前の内容に沿って作ったんですけど?」
シオタ:「そうですよね。ただ、その後、変更になった連絡いきませんでしたか?」
店長:「ああ、来てましたけど、でも先月のスケジュール作る時にそっちの担当(ウチの若手の事である)に聞いたら、変更前の内容で作ってって言われたんですけど?」
シオタ:「そうなんですか?じゃあ後で確認してみますね。とりあえず、今はそれで提出しちゃうと店長さんが言われちゃうかなと思って」
店長:「はあ、そうですか。私は言われたとおりに作ったんですけどね。じゃあこっちでも確認しますね」
シオタ:「(何でこんなに不満そうなんだろう?)そうしてみて下さい。新しい内容に即して提出し直した方が良いと思いますよ」
店長:「私は言われた内容で作ったので。とりあえず確認しますね」
シオタ:「(なぜこんなに噛みつくんだ?)よろしくお願いします」

 

というやり取りがあった。
そして、すぐにウチの担当に確認するも、「そんな話はしていません」との事。
これは確認するまでもなく、当然そんな話をウチの若手がするはずがないのだ。
なぜならば、そんな根拠も何もない話を他店舗の店長に対して、何の権限もない若手が適当に思いついたアドバイスをした事がシオタの耳に入ろうものなら、その後に『スペシャル個別ミーティング』が待ち構えているのが分かっているからだ。
そして、彼はこの『スペシャル個別ミーティング』を入社2年目までの間に何度も喰らっているのだ。

この電話で軽く頭に来ていた俺に、更なる燃料を投下するかのように、1時間ほどして、この店長から俺の上司宛にメールが送られていた。もちろんCCには俺を加えて。

 

メールの内容は、謝罪する言葉こそあれど、
シオタに対する当て付けとしか取れない内容が盛り込まれていた。
メールの最後には、
「変更になった内容がパッと見てわかるような一覧が欲しい。それを元にしてスケジュール作るから。頼むよホントに」
という内容がもう少し丁寧な言葉で書かれていた。

 

シオタ、完全に『社内の敵』認定されました。
ロックオンです。

 

なるほどね、こうやって社内に敵が増えていくんだな。
こちらからすると良かれと思ったことであっても、相手からすると「余計なお世話」とか「自分を攻撃してくる輩」とかそんな風に認識されてしまうんだなと。
そんな事を考えたら、少しだけ淋しくて悲しい気持ちになった。

 

というのは一瞬だけで、
それ以降、怒り心頭に発した俺は、炎上しっぱなしだったので今後は一切の温情をかける事を止めようと心に決めた。


今後は、言った言わないが絶対に起こらないように、ガッチリ縛って行動を規定して仕事を進めるよう指示していく事に決めた。

 

こうやって、自分達の裁量権を会社に返却し、更なるルール化を自分から求め、自分達がより働きづらい環境が整っていくという事が繰り返されて強化されていってしまうのではないだろうか。

 

『考える』事を極力減らして仕事をしたい人達は、
ルールや枠組みというそれに従っていれば安心できる『プログラム』を希求し、
自らの自由と引き換えにそれを手にする事で、
『考える』事をせず安穏とした日常が手に入ると信じてやまない。
その結果待ち受けているのは、
自分でなにかを決める裁量権は無く、
誰かから与えられた事を『考える』事をしないでただ単純にこなしていく日常。

 

もしかして、
これが、
『新しい自由』
というやつなんだろうか。

 

『真の自由』と『新しい自由』
使っている言葉は同じ『自由』でも
意味が全く異なる。

 

この二つは対立する概念なのではないだろうか。

いずれ、公に白黒つける日が来るかもしれない。

 

人生は闘いだ。

 

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