対価と引き換えに手に入るモノは相応の価値しかないのだ
今日、若手社員の何名かから、別々のタイミングで全く同じ事について質問された。
正確には、質問の際の言葉はそれぞれ異なっていたけれど、要約するとこんな内容だ。
「どうやったら広い視野で物事を見れるようになるのか?」
これについて、その都度その都度、別の言葉で話を始めたけど、行きついた先は全部同じ話だった。
若手の質問に答えながら、自分なりに考えた答え。
この答えは、自分が仕事をする上で常に考えている事だった。
「メリットとデメリットを考えて、それを天秤にかけて根拠を持って判断する。その時にどの範囲まで考えるのか」
これが俺の答えだ。
メリットとデメリットを考える。
両方を考える事で、その先に何が待ち受けているのかがハッキリ見える。
どれ位のどんなメリットとデメリットがあるのか。
それを天秤にかけて根拠を持って判断する。
何事にもメリットとデメリットがあるが、天秤にかける事でどちらを選ぶかが決まる。
そして選ぶという事は、選ぶための根拠が無ければ選べない。
つまり、判断基準が明確になる。
ここまでで、未来を予測する視点、どういう方向性で決断をするのか、その際の基準と根拠は何かが明らかになる。
そして、どの範囲まで考えるか。
どの範囲というのは、自分だけなのか、自分と相手なのか、それ以外の人達をどこまで含むのか、どのコミュニティまでなのかを考える。
これらが合わさる事によって、広い視野で物事を見るという事は、当たり前にできる。
しかし、この当たり前が難しいという事なんだと思う。
ただ、この当たり前の事を、瞬時に、的確に判断できないと、本当の意味での仕事はできない。
そして、このように仕事をするには、この当たり前の事ができる事が条件なのだ。
つまり、どうすれば広い視野で物事を見れるのかという事を考えているうちは、これはできない。
ただ一つだけ、これを可能にするための資質があるんだとすれば、
それは、
どうすれば広い視野で物事を見る事ができるのかという方法を考える事ではなく、
自分がする仕事で、どうしたら関わる人達がみんなハッピーになるのかを考え、
考えた事を行動に移し、周りをハッピーにしたという結果が積み重なって
初めて可能になるんだと思う。
そういうモノを求めた結果「手に入った」と思ったのだとしたら、
恐らくそれは錯覚なのだ。
全ては事後的にそうなった結果、
後から振り返ると、
実はそういう事だったと気づく事でしか手に入らないのだ。