シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

そんなこと言われたら退くしかなかろう

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やる事、やらない事を明確にする。

ムリ・ムラ・ムダは省く。

ノータッチラインを決める。

 

最近、俺が仕事をする上で心掛けている事だ。

 

 

 

「やれ」と言われた事、それだけをただひたするやる。

そういう仕事のやり方もある。

「やれ」と言われた事以外はしてはいけない。

そういう仕事上の約束がある場合もある。

 

でも、この場合は『考える』という事は置き去りにされる。

もちろん、「やれ」と言われた仕事の中でも考えて仕事を進める事ができる幅はある。

だけど、いずれそれは惰性の中に埋もれていく類の幅になる。

「いや、そんな事はない」という人もいるだろう。

だけど、そう言う人達はハナから、“「やれ」と言われた仕事、それだけをひたすらやる“というマインドで仕事をしているわけではないのだ。

だから自分で『考える』という事をするのだ。

そして『考える』という事ができる人は、周りと差がついていく。

考えたけど、いずれ惰性の中に埋もれていく類の場合は、結局、誰でも考えられる程度の考えでしかないのだ。

なので、いずれ惰性の中に埋もれていく類の人は、「やれ」と言われた事、それだけをただひたすらやる人達と何も変わりが無いのだ。

 

つまり、

 

『考える』という事ができる人は、

“「やれ」と言われた事、それだけをただひたすらやる“という事を良しとしない人達なのだ。

良しとしないからこそ、『考える』という事、「やれ」と言われた事以外の事をするのだ。

 

何のために、「やれ」と言われた事以外の事をするのか。

何のために、『考える』という事をするのか。

 

その理由は、

“その仕事で求められる本当の事、本質の部分を突き詰めたいから“に他ならない。

それが、いわゆる、

『効率化』『成果』『生産性』というモノになるのだろう。

 

これらを求めるという事は、結局、冒頭にあげたような事、

やる事、やらない事を明確にする。

ムリ・ムラ・ムダは省く。

ノータッチラインを決める。

を実現していくという事に他ならない。

 

その為には、闘わないといけない場面も出てくるかもしれないし、めんどくさい事も引き受けないといけないかもしれないけど、それは仕方ない。

 

そうやって、闘う姿が、そのコミュニティの中で邪魔になってしまうなら、それも仕方ない。

その時は、そのコミュニティに必要とされなくなったという事なので、場を移る他ないのだ。

 

 

「やれ」と言われた事だけを、ただひたすらやる人が欲しいコミュニティ。

 

「やれ」と言われた事だけを、ただひたすらやっていて欲しい人。

 

「やれ」と言われた事だけを、ただひたすらやっていたい人。

 

「やれ」と言われた事だけでは飽き足らず、『考える』をした結果、「やれ」と言われていない事をやり始める人。

 

 

 

 

邪魔なのは誰だ?

 

 

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