シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

俺達には安西先生はいないけど。

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問:「その『行動』をするに至るまでには、どんな理由がありますか?」

解:「すごく考えたんですが、特に理由はありませんでした」


プライベートでの話であれば、こんな事は特筆すべき事でもないのかもしれない。
俺だって、理由なく何がしかの『行動』を起こす事はあるかもしれない。
例えば…うん、あまり思いつかないけど何かはあるかもしれない。

 

ところが、
恐ろしい事に、
俺の会社では、
このやり取りが仕事の中に於いても起きるのだ。

俺はそんな会社の中間管理職だ。
部下の多くが、「理由なく行動をする」若者たちばかりという、かなり恵まれた(?)職場にいる。

 

 

行動を起こすのに特にこれといった理由が無ければ、
基本的には『勘』によって、お客様へのサービスを行うのだ。
危なっかしい事この上ない。
そして、その行動が、本当の意味でお客さんのニーズに応えているかどうかは誰にもわからない。
その『行動』の次に何が起きるのか、どんな用意をしておくことが望ましいのか、それすらも誰にも判らない。

つまり、
「危険予測も、その次の一手も、自分達がどう動いておけば良いのか、それを元に新しいニーズを引き出す」なんて芸当は夢のまた夢。とてもじゃないけど、生きている間にこんな思考をする彼らが日の目を見る事は叶わないんだろう。

そして、『行動』するのに理由が必要ない人達は、ひとたび指示命令系統から出た指示には、一切の疑問を差し挟むことなく言われたとおりに言われた事を遂行しようとする。その姿勢は、「疑問を差し挟む余地が無いので疑念を抱かない」という考える事を放棄した姿勢だ。

 

彼らの選択する『行動』には一体どんな意味を持たせることができるのか。
彼らが『行動』に意味を持つ事ができるようにする事は可能なのか。
彼らが『行動』に意味を持つ事ができたなら、一体、世界はどんな風に変わるのだろうか。

そして、彼らはどんな風に変わるのだろうか。

 

「諦めず関わり続ける。だって、彼らが今より少しでも良くなったら、できる事増えるし、何より自分自身の能力が向上するから」

 

こんな理由に基づいた行動を、

もうしばらく続けようと考えている。

 

諦めない人がいる限り、

希望はまだ、

あるのかもしれない。