シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

酔いどれ問答が哲人への扉だったのかもしれない


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人間、何歳になっても成長する事があるんだなあ。

今日は久々に実家に遊びに来た。住んでいるところからはそれほど遠くない場所なので、高速道路を使うと概ね約3時間で来れるのだ。実家で一泊させてもらって帰るのがいつもの流れだ。

で、実家に来ると、親と話をする。いや、親の話を一方的に聞かされるの方が正確かもしれない。久々に会う息子に対して、お酒を飲んで酔った老親がずっと話をしてくるのだ。それも、過去に何度も何度も聞かされた話を、酔う度に思い出すのか、寸分違わぬ内容の話をするのだ。聞いてるこちらは、話の流れも、話の展開も、話の落ちの無さも全てを把握しているので途中から苦痛になってくるのが常だ。

今日もその展開なんだろうなと思っていると、時おり初めて聞く話が挟まれてくる。本人は酔っているので話の構成なんて一切考えていないのは明らかだけど、ちょいちょい新しい話が入るのだ。しかも、その新しい話は、最近の出来事ではなく、大昔の思い出の話だ。つまり、これまでにも話をしようと思えばできたはずの話なのだ。

これまでにもこんな話を聞かされる機会は無数にあった。文字通り、無数にあった。聞かされてきた全ての話を丸暗記できる程の回数だ。にも関わらず、大昔の話で、まだ聞いたことのない内容が新たに出てきた。これには、少し驚いた。どうせいつもと同じ話を聞かされるんだろうと思っていたのに、軽く意表を突かれた形だ。

なぜこんな展開になったのか?

これについて考えることが、自分にとって何か意味があるんじゃないのかなと今思っている。恐らくこういうことなのかな?という仮説はあるけれど、それを検証するには少し時間がかかるかもしれない。ただ一つ言えるとしたら、話を聞く俺の態度が大きな要因なんだろうなという事だけは分かっているという事だ。

そして、それによって起きた出来事があったもいう事実。

年老いた自他ともに認める頭の固い人間が、話の中で、新しい考え方というかこれまでにしてこなかった物事の捉え方をする自分に気が付く姿が垣間見られた。もし、他人が見ていたらなんて事のない酒の席でのやり取りに過ぎないかもしれないけど、息子からすると、今まで見たことも聞いたことも無いような変化が起きたのだ。

老人も成長する。

文字にすると、当たり前だけど、それでも結構衝撃的な出来事の目撃者に、今晩なったのだ。