シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

昔ばなしを思い出せるくらい長く生きてきたってことなのさ


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実家で目覚めた朝。

すごく久しぶりなのに、もうずっとここに居た気もする。そんな不思議な気分の朝。もうずっと前にこの家を出てから、こうやって時々泊めてもらうことはあるけど、たまにこんな気分になることがある。だからなんだってことは全然無いんだけど、なんか不思議な気分だというだけなのだ。

この家で暮らしていた時の事で良い思い出はあまり無い。もちろん、こうやって生きてきているんだからその時々で良い事はあったんだろうけど、後になって思い出すのは、できれば思い出したくない部類の事ばかりだ。

そんな思い出がギュウギュウに詰まったこの家は、もうずいぶん前に建て替えられた家なのだ。なので、俺の生家ではない。俺からすると2代目の家なのだ。年数で言うとかなり経っているので新しくはないけど、俺の中では新参者。昔の家の方が子どもの頃の様々な思い出があって愛着があった。だから、建て替えるという話になった時にはあまり歓迎してはいなかった。そんなところから始まっているのも、今の実家にあまり良い思い出が無い事に拍車をかけているのかもしれない。

とは言え、この新参者の家には、こうやって家族で度々泊まらせてもらっていて、この家に遊びに来るのを楽しみにしている子どもにとっては、恐らく既に良い思い出のある家なんだろう。他にも、俺よりも頻繁にこの実家に来る機会の多い俺の兄妹やその子ども達にとっても、もしかしたら、良い思い出がたくさんある家なのかもしれない。そうだとすると、この家からしたら、俺みたいなヤツはずいぶんと迷惑な存在なのかもしれないし、俺の一方的な『良くない思い出補正』を一身に受けるかわいそうなヤツなのかもしれないのだ。

と言うことは、もしかしたら、俺から見た実家という存在が少しずつ形を変えてきているのかもしれない。それが、目が覚めた時の不思議な気分の正体なのか?

つまり、毎日見ている場所の映像や記憶には、感情が一緒に埋め込まれていくのかもしれない。後々、その記憶が呼び起こされる場所に行った時には、その過去の感情も一緒に思い出されるから、記憶を思い出したその瞬間の感情が、過去の記憶と同調していれば感情は“強化”された状態で保存されるし、過去の記憶とは逆のベクトルの感情があれば足し引きされて保存されるのかもしれない。

そんな事を、自宅のリビングで、うたた寝から目が覚めた時に思ったのだ。

うたた寝をした後だとそのあとの睡眠が浅くなるのはいつもの事で、目が覚めてしまった深夜にこんなことを書いている。早く寝なければ。