シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

理想と現実の境界線は地獄へ続いているのかもしれない

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理想と現実について、仲間と一緒に考えた。

 

理想、または夢や希望と言い換えてもいいのかもしれないけど、この自分の内側からどうしようもなく湧き上がってくるモノがどうにも抑えられなくて、気が付いたら追いかけてしまっていた衝動的な欲求というか、自分が生きるうえで絶対に忘れられないこの想いというか、誰かに何と思われても何と言われても止められないこの感情というか。

こういうモノがいつまでもずっと自分の中にあるのは、改めて考えると幸せな事なんだなと、そんな話になった。

 

我々からするとどうしようもなく自然に湧き上がるこの衝動を、もしかしたら持ちえない人達がいるんじゃないかという仮説が立った。その根拠となる様々な事象もたくさん見えてきて、少し怖くなった。

 

主にマスメディアからの影響で、自分自身が気が付かないうちに植え付けられた価値観に紐づく造り出された欲求や人工的な理想像を、あたかも自分の内側から湧き出た欲求かのように思わされている人達がたくさんいるというこの現状。まるで頭の中に靄がかかっているかのように見える人達に遭遇する事が多々ある。

自分が人生の目標だと思って追い求めている理想像が、『誰かに良いと思われる姿』だったり、『誰かに羨ましいと思われる事』だったり、『誰かに憧れられる何か』だったり。マスメディアの中で『何か』や『誰か』を操作しようとしてそこに配置された虚像だったと気づかないまま人生を終えていくかもしれない事の怖さ。

多数派だから正しい、多数派だから間違いない、間違えたくないから多数派を選ぶ、選んだんだから間違いのはずがない、だって周りの人達もそう言ってるし、何よりも私がこう思って欲しいという像として誰かが私を見てくれるから…。

 

「それで本人が幸せなら」とか「そいつが良いと思うなら良いのでは」と、終わりにしても良いのかもしれないけど、理想を叶えたくて自分の内側から湧き上がる抑えられない衝動が止まらないような、そんなどうしようもなく全力全開の人生を進み続けていきたいし、皆がそうであって欲しいと、余計なお世話ながらあらためて思った水曜日の深夜。

 

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