シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

毎日がデジャブ。まるで、お笑いウルトラクイズのような

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今日は土曜日。

 

仕事が休みなので、朝からかかりつけの病院へ向かった。
朝の開院時間に合わせていかないと大変混みあうのだ。
これはきっと日本全国どこの病院でも同じなんだろうな。


とは言え、俺が今日病院に行くのは、ケガをしたとか風邪をひいたとか
明確に症状が出ているからというわけではない。
数年前から急に出始めたアレルギー性の全身の痒みを抑える薬をもらう為に定期的に病院に行くのだ。

 

かかりつけの病院なので、家からは車で10分程度。
この地域では比較的近所の病院という事になる。
その病院に向かう道すがらで、ふと、先日仲間と話をした内容を思い出した。

 

話の内容は、またもやウチの会社の若手達の事だ。
彼らが行ったイベントでのレイアウトについての事なんだけど、このブログでは何度か同様の事を書いているんだけど、何度も話題に出しちゃうくらい俺にとっては衝撃が大きかったんだなあと改めて思う。

 

仲間と話していたのは、「彼らはなぜ動線を考えずにレイアウトをするのか?」というテーマについてだ。
この話をしている時に様々な話が出たんだけど、行きついたのが、
「彼らは動線を考える時にも、可能性の2択を行っているのではないだろうか」という事だ。
可能性の2択についての詳細な説明は前回のブログを参照してもらえるとありがたい。

shiotapathos.hatenablog.com

 

簡単に書くとすると、
『①可能性ゼロ⇒可能性無し②可能性1以上⇒可能性有り(無限大)の2択を用い、物事の全てをこの2択で選択する。
②の場合には可能性の数値は本人が思いつきで決め、その数値を基にして様々な方策を考える。その為、我々から見ると、なんの架け橋も見えない全く無根拠の飛躍であるため、我々であれば選択するはずのない選択肢になる』というモノだ。


つまり、動線を考える際に適用すると、「可能性はゼロである」と誰か(主に上長である我々)があらかじめ指摘しておかないと指摘されなかった事柄は全て可能性が無限に存在する事になり、無数に存在する事になるので全てはシミュレーションする事ができない。すると、彼らの主観により適当に(本人たちなりには『考えた結果』だが)選んだ選択肢をシミュレーションしただけで本番に臨む。こういう事が起きているのだ。

 

この仮説に沿って考えると、次のようなケースでは彼らは取るべき行動が分からないという事になる。


例えば、彼らが初めて行く場所で、誰も人通りが無い幅の広い道が東から西へずっと続いている。その道を車は走らない。その道の北側には民家がズラッと軒を連ねている。その道の南側はすぐ砂浜になっていて砂浜の30mほど向こうは海が広がっている。その道の中央には、地面から1m位の高さのロープが50m間隔位で張られている。
(架空の状況描写を文字で書くと結構文字数が必要になるんだなあ)

 

さて、こんな状況下にあった場合、我々は一体どうするのか、そして、彼らは一体どんな行動をとるのか。

 

まず我々の場合だと、この道に張られたロープの意味を状況から判断し解釈し、その場を作った人達の意図を汲み取る作業を無意識に行い、我々としては海を眺めて歩きたいのでロープで区切られた道の南側(海に近い側)だけを歩くはずだ。区切られた道の北側は恐らく民家に出入りするこの区域の住民が利用するのだろうと考えるはずだ。


でも、彼らはきっと、その道がロープで区切られている事は意に介さずに、ロープが張られた意図を汲むことはせずに、というか汲むことができずに、その時歩きたいと思った場所を歩くはず。なぜなら、ロープは高さ50cm程度で張られているだけなので、容易に跨ぐことも潜る事もできるのだ。そして、そもそも、民間の住民が北側を利用するとは夢にも思っていないはずだ。「このロープなんでここにあるんだろう?」とは思うかもしれない。そして、その時に、ロープにタオルでも干してあったのを目にしようものなら、「このロープはタオルとかを干すためにあるんだ。便利だな」位しか思い浮かばないはずなのだ。

 

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というような話を仲間としていたのを思い出した。

なぜこの話を思い出したかと言うと、俺が病院に向かう側の道路は混んでいてなかなか進まなかったけど、反対車線は車がスイスイ走っていたのを見たのだ。
その時に道のこっちとあっちを隔てているのは『ただの白泉』それだけだったのだ。
これだけの区切りしかないのに、彼らは車の運転はできるのだ。道路の車線のあっちとこっちを間違えることなく、事故を起こさず車の運転ができるのだ。
なぜか?
それは、ルールで「こっちはOK。あっちはNG」と教わっているから。
かと言って、彼らは交通ルールを全て記憶しているわけではない。
でも、それこそ物理的にも致命的になるルールは覚えて、正確に運用しているのだ。

そんな事を考えていたら、上の話を思い出した。

『考える』という事の重要さをあらためて考えた土曜日の朝。


あれ?
もしかしたら、
これがアレルギーの原因になってるストレス?

早く、薬を飲まなければ…。


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