どんな時だって俺は俺さ
『奴隷(どれい)』
Wikipediaによると、こう書いてある。
「奴隷(どれい)とは、人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。」
現代は奴隷制は廃止されている。
だけど、俺は時々思う。
「俺って、もしかして、上司や会社から奴隷だと思われてるのかな?」と。
ウチの会社には社用車が無い。
経費節減のためなのか何なのか、理由は俺にはわからないが、とにかくウチの会社には社用車が無い。
そんな状況ではあるけど、ウチの会社ではかなり頻繁に、
「荷物を車で運ぶ」という状況が発生する。
ちょっとした小物を、店舗間の移動のついでに持っていく。
これは分かる。
どうせ自分が移動するんだからちょっとした小物くらいどうってことはない。
加えて、
結構な大物を多数運ぶこともある。
例えば、小さな商品がたくさん入っている段ボールを数十個。
これは、ハッキリ言って運送屋さんの仕事だ。
だけど、ウチは社用車が無いので個人の自家用車で運ぶ。
この辺から若干疑問は湧いてくるが、まあ、良しとしよう。
他に運ぶ手立てが無いので、ここは会社と自分と持ちつ持たれつの関係だ。
そういう事で目をつぶろう。
だけど、こんなケースもある。
「長年、外に放置されていた泥と埃まみれの木製棚を産廃処理場に捨てに行け」
とか、
「ずっと外に放置して汚れにまみれた立て看板数十本を目ざわりだからその日中に撤去しろ」
など。
この辺の指示になると、正直に言って、
「なぜ俺の自家用車でそんな汚れたモノを運ばないといけないのだ?」
と疑問が沸いてくる。
俺の自家用車は、俺と俺の家族が乗る車だ。
なぜそんなプライベートな空間に、泥や埃にまみれたモノを載せる必要があるのか。
俺にはいまだに意味がわからない。
ハッキリ言って、シオタとその家族の尊厳を踏みにじられた気分になる。
「尊厳を踏みにじられたなんて大げさだなあシオタは」
そんな風に感じる人もいるのかもしれないけど、
俺からしたらこう言われているように聞こえるのだ。
「お前とお前の家族は、会社のおかげで生きていられるのだから、ウチから払われた給料で購入したモノは全て会社に帰属
るのだ。その体も頭脳も財産も全て会社に帰属するのだから、全て捧げろ!」
そんな、声なき声が聞こえてくる気がするのだ。
とは言え、表立って「嫌です」と言ったことはまだ無かった。
つい先日までは。
だが、先日、同様の指示がH課長(50代女性・お局兼務)から出た時に思わず言ってしまったのだ。
その時は、ある店舗で使用している洗濯機を別の店舗に運べという指示が出た。
それに対して、俺は「洗濯機は汚れた水が垂れるかもしれないから勘弁して下さい。ウチの家族が乗る車なので」
そう言った。
するとH課長は事も無げにこう言ったのだ。
「まあ、でも、社長の指示だからさ。よろしくね」と。
これ以上のやり取りは不毛だ。
そんな事は分かってる。
この人に何かを重ねて言う事はバカげている。
それも分かっている。
だから、俺は、それ以上何も言う事を止めた。
人の痛みが分からない人は存在するのだ。
人が何を嫌がっているのか分からない人は存在する。
人の立場に立って考えるという事ができない人は存在する。
そういう人やそういう組織とはできるだけ関わりを持たないようにする必要がある。
俺の尊厳を踏みにじる何者かとは、今後、永久に分かり合える事は無いだろうということだけは分かった。
例え、相手に「そのつもりは無かった」のだとしても。
俺を奴隷扱いするどこかの誰かには、俺が納得いく形で徹底的に闘う。
俺なりのやり方で。
そう心に決めた。
俺は、何かの奴隷じゃない。
俺は、誰かの奴隷じゃない。
たかだかこれっぽっちの給料如きで俺を購入できたとでも思っているのか。
俺を、奴隷扱いする何者かにはこう言ってやる。
「クソくらえ!」
俺は、俺の人生の主人公だ。
ふざけんな。
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