シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

パイセンのつくり方

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先日、若手社員とのミーティングでの事。

 

参加メンバーは、たまたま20代女性社員5名の参加だった。

このミーティングの題材は「最近、仕事でモヤモヤしてる事」を各自が挙げていって、その中から話題を絞り、そのモヤモヤの中から問題を発見して、問題解決に至る仮説を立てるという、レクリエーション的な意味合いも強いミーティングだ。
楽しみながら、でも、実際にみんなが直面している仕事がスムーズに進まない『何か』を見つけて解決しようという試みだ。
このミーティングを不定期に行っている。

 

その時の参加メンバーの1人である女性社員Sさんは、

半年前に中途で入社した24歳だ。

Sさんがこの日の議題として、今自分が直面しているモヤモヤを発信した。
勇気を持って、恐る恐るといった感じでの発言だ。
一体、どんな話をしてくるんだろう?と耳を傾けた。

 

Sさん:「あの、もうすぐ新しい人が入社してくるって聞いたんですけど」
シオタ:「よく知ってるね」
Sさん:「私、これまでに先輩になった事が無いんですけど、先輩になるってどうしたらいいんですか?」

 

こんな質問が飛び出てきた。
傾けて聞いていた自分の耳を、思わず疑ってしまった。

 

シオタ:「(あれ?この子大学でサークルに入ってたって言ってた気がするけど?)どういう事?」
Sさん:「私、新卒で入った前の会社でも後輩が入ってきませんでしたし、今も一番後輩でやってるので先輩になるっていう事がどういう事かよくわからなくて。先輩になるにあたって、必要な心構えとかありますか?」


俺は今まで、気にした事も無かった。

自分の下の世代が入ってきてどう面倒を見るのか、どう接するのか、それがわからないという話なんだと思うけれども、こんな事を気にして生きてきた事が無かったので初めて聞く疑問だった。


俺の人生では、物心ついた時には既に自分より年若い兄弟が居て、

面倒を見るのが日常だった。
小学校に入れば、学年があがるとともに下級生がいた。
中学校では、学年があがると部活の後輩が入ってきた。
高校や大学でも同様だ。
格闘技道場では、入った時には先輩がいて、先輩に色々教えてもらった。

在籍年数が長くなれば、俺が初心者に手ほどきをする場面が自然に発生した。

そんな環境で生きてきたので『先輩になる』という事がどういう事なのか疑問を持ったことが無かった。

それどころか、誰もが何らかの先輩であり誰もが何らかの後輩であるという事が当然なんだと思っていた。

でも、俺の認識は非常に狭い世界のモノだったのだ。


Sさんは、姉妹がいて、小中高大と部活やらサークルやら何らかの集団に属し生きてきたという話を聞いている。
だけど、こんなにも違うのだ。

 

そして、その時参加していた5名全員が「私も後輩ができるって聞いた時に同じ事を思ったんだ」と言っていた。
彼女たちに「新人の教育担当」を命じたわけではないのだ。
仮に、教育担当という役割を任されて、それをプレッシャーに感じたんですという話だったらわかるのだ。

だけど、Sさんが言っていたのは「先輩になるって事がどういう事かわからない」という話だ。


俺には、Sさんの言っている言葉の意味がわからない。

 

ただ、結果的にはこのミーティングはしっかり着地するべき場所に着地させた。

 

最終的には、「一秒でも早く入ったら先輩」この言葉がキーワードになった。
これは、先輩風を吹かして偉そうにふるまうという意味ではない。
一秒でも早く入ったら先輩なのだから、後輩が「さすが先輩」と思わざるを得ないように振る舞う必要があるという、
先輩が持つべき覚悟について表している言葉だ。
自分がピカピカの後輩だった時に、先輩にしてもらった事を思い出して、自分がしてもらったのと同じように後輩にしてあげる事。
自分がしてもらった事を、それをしてくれた先輩ではなく、後輩に受け継いでいく事。
この循環の輪の中に入って、その共同体のルールや文化や風習を伝えていく役割を担う事。
これこそが「先輩になるって事」である。
それには、「一秒でも早く入ったら先輩」という覚悟を自らの振る舞いによって体現する必要があり、この覚悟を体現できる人だけが、先輩になれる。
つまり、時間が経過して事実上の後輩が入ってきたとしても、覚悟の無いままそこに存在しているのであれば、それは先輩ではない。

「年だけ重ねた後輩」である。

年を重ねたのに、後輩でい続ける人達は、共同体から見たらとてもありがたくない存在だ。なぜなら、共同体の命とも言うべき風習などが次世代に継承されずに、年を重ねた後輩のところで滞留してしまうからだ。

これは、血液が循環せずにその部分が壊死してしまう事と同様かもしれない。

この「年だけ重ねた後輩」が、「俺はお前より先に入ったんだから、先輩として敬え」という非常に傲慢な考え方をする事で、組織の中に居心地の悪い空気が醸成されていく。皆はそうならないように。
「一秒でも早く入ったら先輩」という考え方は、自分に対しての戒めとして使う言葉であって、相手に対して「こう考えろ」と求めた時点で、頭のおかしな老害野郎である。

 

こんなシオタなりの解釈を、非常にマイルドにふんわりと伝えて、このミーティングを締めた。

 

先輩と後輩。

『主役』と『主人公』を分断する境界は、ここにも存在しているんだなあ。

 

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