人間と妖怪、その境界は越えられるのか?
鬼太郎はいつも言っている。
「見えてる世界が全てじゃない」
鬼太郎は妖怪だ。鬼太郎の仲間たちも、敵も、みんな妖怪だ。
妖怪なので、現れたり消えたりは自由自在。
見えるように出てきたり、見えないように姿を消したままでも実はすぐそこにいたり。
もちろん、この場合の見える見えないは、“人間から見た時”について言っている。
つまり、人間の目から見て「見えてる世界が全てじゃない」という事なんだろう。
て事は、「見えてる世界が全てだ」と言うのが“普通の人間”なのかもしれない。
見えてる世界、“自分から見た時に見えてる”という、とてつもなく主観的なモノの見方だという事だ。それは、客観的な視点でモノを見られていないという事を言っている。
すなわち、
『客観性を欠いた視点』
これが、いわゆる“普通の人間”のモノの見方だという事だ。
対して、「見えてる世界が全てじゃない」という妖怪は、『客観的な視点』を備えているという事なのかもしれない。
客観的な視点から見た時に、見えていないモノも可能性として考慮しつつ、物事を捉える。
こう書くと、とてつもなく柔軟なモノの見方ができるのが妖怪のような気がしてくる。
あれ?
もしかして、妖怪と人間が相容れないというのは、そういう事?
妖怪は、見えてる世界以外とも仲良くできる寛容な多様性を備えた存在。
方や、
人間は、見えてる世界が全てだと断じる非寛容な存在。
これは、とてもじゃないけど、
仲良くできるはずが無いんじゃないだろうか。
共存するとしたら、
お互いに住み分ける他ないのかもしれない。