”受け取りての自由”が保障されている素晴らしい世界
昨日観てたテレビでお笑いの番組がやっていた。
『ENGEIグランドスラム』という番組だ。
様々なお笑い芸人が出てきてネタを披露する中で、久々にお腹が捩れる程笑ったネタもあった。
その中で、「売れてない芸人の中で面白い芸人NO.1を決める」という事で1組の若手お笑い芸人コンビがネタをやった。
まんじゅう大帝国
というコンビだ。
俺はお笑いのカテゴリーがいまいちよくわからないけど、二人の出で立ちから、多分、漫才師という括りになるんだろう。
このネタがよくできていて、とても面白かった。
面白かったんだけど、このネタの何かが、このネタのどこかの部分が、とても“個人的に”引っかかる感じがしてずっと考えてた。
それから一晩明けて、日曜日の朝、つまり今朝の事だ。
毎週日曜日の恒例で、『ゲゲゲの鬼太郎』を子どもと一緒に鑑賞した。
その後、でかけるまで少し時間があったので、普段はほとんど観る事の無い『ワンピース』を続けて観ていた時の事。
オープニングの歌が流れる画面を観ていると、ウチの子どもが急にこんな事を言った。
子ども:「あの鹿は何て言うんだっけ?」
シオタ:「あの小さい鹿みたいな子は“チョッパー“だよ」
子ども:「“チョッパー”。じゃあ、あの子は?あの“ひよこっせい”の子」
シオタ:「“ひよこっせい”?そういう子がいるんだっけ?“ひよこっせい“ってどの子?」
子ども:「あのピンクの髪の子だよ」
シオタ:「(ピンクの髪?)えーと…(探す)、ああ!あの大きくてピンクの髪の毛?」
子ども:「そうだよ」
シオタ:「あれは、“ビッグマム”って言うんだよ」
子ども:「“ビッグマム”?ふーん、“ひよこっせい”は“ビッグマム”なんだ」
シオタ:「その“ひよこっせい”って何のこと?」
子ども:「(質問には答えず)“ひよこっせい”強いの?」
シオタ:「(回答無しかい!)強いよ」
子ども:「ふーん」
という会話があった。
結局、子どもが言う“ひよこっせい”が何の事なのかはわからず仕舞いだったけど、きっと、子どもの中で、何か“ひよこっせい”という名称と繋がるモノがあるんだろうな、と深く考えずに流しておいた。聞いても、答えらしきものは出てこないからだ。
そして、前半が終わり、CMに入った。
すると、突然、子どもが騒ぎ出した。
子ども:「パパ!“ひよこっせい”だよ」
シオタ:「え?」
観ると、いつもこの日曜9時からのアニメがやっている時間帯に必ず流れるゲームのCMが放映されている。今、調べたら、『ワンピース トレジャークルーズ』というスマホゲームのCMらしい。そのCMの中で、「サンジがケーキを作る」という設定があるのか、サンジが作ったらしきケーキの画像の後に、ルフィが「うまそー」と言って食べてしまう事を想起させる画とセリフが入り、その後にビッグマムが「ケーキよこせー」と言う画とセリフが入っている。
シオタ:「(あー、ビッグマムの事を“ひよこっせい”って言ってたもんな)」
え?
もしかして、
ビッグマムの「ケーキよこせー」→「ケーきよこせー」→「ケー!きよこっせい!」→「(ケー)ひよこっせい」になってるのか!!
なるほど、これで辻褄が合う。
それなら、確かにビッグマムを観て「“ひよこっせい”だ」と言うだろう。
“ひよこっせい”が名前なのか決め台詞なのかという認識は特に区分けしていないと思うけど、あの絵面のキャラクターが“ひよこっせい”と言っていて(とウチの子が認識して)登場するのであれば、あのビッグマムというキャラクターは“ひよこっせい”というキャラクターになるのだ。
例えば、
こなきジジイが、“こなき”と呼ばれるように。
砂かけババアが、“すなかけ”と呼ばれるように。
ねずみ男が、“ビビビ”と呼ばれるように。
ビッグマムは、“ひよこっせい”。
この時、“まんじゅう大帝国”のネタが浮かんできた。
このネタでは、起きてる事象の部分部分や言われたとする言葉の一部分を切り取り、それを、通常では解釈しないベクトルで解釈して話を進めていくというネタだ。但し、その時の「通常では解釈しないベクトル」というのが、仮にそう解釈されたとしたら確かにおかしいけどそう解釈する事も出来ない事はないよな、と理解する事ができるようなネタなのだ。
例えば、昨日のネタの始まり方は、
A:「この前ね、家で寝てたらさ、ピンポンピンポンピンポンっていうからさ、全問正解したんじゃないかなと思ってさ」
B:「おー」
A:「でも全問正解のピンポンともちょと違う感じだったかなと思ってさ」
B:「あそう。あ、じゃあ、全問正解ではなかったんだ」
A:「そうそうそうそう」
B:「という事は、どっかで1問落としたんだね?」
A:「そうなんだよ」
という具合にネタが続いていく。
勘違いというより、片方がした認識違いを相方がすんなり受け入れたまま話が続くのだ。
そして、それが、この二人の間では“ただ一つの真実”として話がすすむ。
そのまま話は展開していき、
遂には、いつの間にか、携帯電話が“こんにゃく”になっていた。
これだけ読むと、
「何の話かさっぱりわからない。どう考えたって途中で気づくだろう」と思うんだけど、この漫才をみていると、そう思うよりも先に「あー、それじゃ仕方ないかもなあ」と思わされるのだ。
そんな、とても面白いネタだった。
そして、とても面白いと思った自分が確実に存在しつつ、
とても恐ろしいと感じた自分もいたのだ。
なぜなら、
毎日の会社での仕事の中で、このネタのような事が、常に起きているからだ。
“まんじゅう大帝国”のネタのような会話のやり取り。
“ひよこっせい”のような聞き間違いや読み間違いからの、認識のすれ違い。
こんな、お笑いのような、幼児の会話のようなやり取りが日々交わされている日常。
よもや、芸人のネタ“や”子どもの勘違い“を、”笑い“としてではなく”恐怖“として捉える日が来るなんて予想だにしていなかった。
だけど、現実はこうなっている。
日常的に、芸人が必死で考えたであろうネタと同じ強度をもって襲い掛かってくる。
そんな日々。
明日からの日常を、
俺は、
笑い飛ばして過ごしていく事ができるんだろうか。
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