シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

眠れないのでこうなった

人に迷惑をかけないで生きていく。

そう思って生きてきたけど、いつも誰かに迷惑をかけて生きて来てるんだろう。きっと自分の知らないところで、俺が何かを言ったり何かをやったりする度に誰かに迷惑がかかってるんだと思う。でも、俺はそれに気付かずに今も生きてる。『風が吹けば桶やが儲かる』的な話で誰かに迷惑かけて生きてるはずだ。

でも、しょうがない。
俺がここまで生きてきたってことは、俺が生きてくるのに避けて通れなかった事ばかりなんだと思う。だから、しょうがない。迷惑かけてる俺が自分で言ったらいけないのかもしれないけど、これも現実してあるんだからしょうがない。そう思いながら今も生きてる。

「誰かに迷惑かけなきゃ生きていけないなら…」その先の言葉を明確に思いながら生きてた事もあったような気がするけど、今は「しょうがない」と思ってる。

できるだけ人に迷惑をかけずに生きていきたいとは相変わらず思ってるけど、誰かに迷惑をかけてしまうのはしょうがない。だけど、俺から迷惑をかけれてる人達には心からごめんなさい。だから俺も誰かから迷惑を被ったとしてもそれもしょうがない。

生きてれば「しょうがない」事は山ほど起きるというか、そんな事ばかりで成り立ってるというか、全ての出来事はただ起きるだけでそれにどんな意味付けをするのかはその人次第だから思い悩んでもしょうがないし、思い悩むのもしょうがないのかもしれないというか。

こんな、しょうもない事をつらつら書いてるだけであっという間に文字数ばかり増えていってしまう。ホントに俺はしょうがないなと思うけど、思った時に思った事を書いておけるのが個人ブログの良いところだと思うのでこれもしょうがない。

今日は、人生で最も「しょうがない」という言葉を書いたけど、「しょうがない」って文字で書くと何だか間抜けな感じがするけどこれもしょうがない。実際にいつも思ってる言葉だから。

こういう気分の時は、なかなか眠れない。そもそも、昼寝をして起きたのが10時過ぎていたのだからこれもしょうがない。というか、夜中に起きているとこんな風にしょうもない事を考え始めるのはもはや自分の気質としてしょうがないのかもしれない。
ブルーハーツも歌っていたけど、『諦めきれぬと諦める』という心境はまさにこの「しょうがない」というのに近い気がする。

こんな風に「しょうがない」を積み重ねていくとどうなるのか。カッコ悪い人間になるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。起きることは選べない事が多いけど、でも、生き方は選べるからカッコ悪い人間になってしまうのはしょうがなくはない。はず。

こんな風に、しょうがない事としょうがなくはない事を見極めながら生きていくしかないのかもしれない。

長々書いておいて何の落ちもつかないけど、これも俺が書くブログなのでしょうがない。