シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

前園さんの言う通り

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悪気なく“人の嫌がる事”をする人達がいる。

 

自分達が楽しむ為に、誰かを笑い者にして楽しむ行為。

所謂『いじめ』というやつもこの類の話だ。

 

「いじめるヤツが悪い」「いじめられるヤツにも問題がある」

いつの時代もこのどちらかの言説が飛び交っていて、この世界から『いじめ』が無くなる事はないのかもしれない。

 

だけど、俺は、『いじめ』が存在しないコミュニティを作る事は可能だと思っている。

 

どちらが悪いかには興味が無い。

ただ一つ断言できるのは、「いじめるヤツ」がいなければ『いじめ』は起きない。もう少し言うなら、行為としての『いじめ』が起きなければ、『いじめ』という現象はそのコミュニティには存在しないという事だ。これは間違いない。

 

これだけ“ダイバーシティ”が叫ばれている今の世の中で、いわゆる「いじめられるヤツ」と呼ばれる人達というのは存在しないと言っても言い過ぎではないと思っている。もし、「いじめられるヤツ」という人達が存在するとしたら、それは、全ての人達が対象になりうるはずだ。なぜなら“ダイバーシティ”が前提の世の中になっているからだ。これも間違いない。

 

誰もが「いじめるヤツ」「いじめられるヤツ」としての側面を持っている現代では、「どちらが悪いのか?」という議論は全く意味が無い話なのだ。そうすると問題になってくるのは、『いじめ』という行為の存在だ。

つまり、いじめる・られる“人”に規定されるのではなく、『いじめ』という“行為”に規定されるのだ。

 

だから、『いじめ』という行為がなければ『いじめ』という現象は存在しないのだ。

そして、前述のとおり、『いじめ』という現象が起きないコミュニティを作る事は可能だ。

これを可能にするには、参加するメンバーの同意と規則及び罰則、そして、参加するメンバー間の情報共有が必要だ。

 

でも、もし、これでも『いじめ』が横行するようであれば、それを打開する策を今考えているところだ。

近い内に、この策をどこかのコミュニティで実践してみたいと考えている。

そして、これが新しいプラットフォームの基礎になるんじゃないかと睨んでいる。

 

さあ、デカい事を言ったので、早晩実現に向けて動き出す必要が出てきたぞ。

 

早いとこ実現させて、この世界から、クソくだらん『いじめ』なんぞと言うモノをさっさと無くしたい。そんな事で煩わされる人達がいなくなり、そんな事でしか自分を慰められない人達を撲滅したい。

 

 

 

 

『いじめ』という行為をしている自覚のある人、そして自覚の無い人へ

 

この世の中に巣食う貴様らのようなヤツラの、クソみてーな娯楽を、根絶やしにしてやるからな。早いとこ、『いじめ』に代わる楽しい事をみつけておいた方が良いと思うぜ。

 

覚悟しとけよ。

 

イジメカッコワルイ。

 

 

 

まさか、40歳を過ぎてこんな事を考える日が来るなんて思いもよらなかった。