シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

人が感動する瞬間のメカニズム

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今日は休日出勤だった。

土曜日に休日出勤をした日は、これまでだったらジムに直行するんだけど、今日は真っすぐ家に帰ってきた。

 

休日出勤で疲れたから?

いえ、違います。

じゃあ、休みの日は家族で晩御飯を食べるため?

いえ、違います。

 

今日12月8日は、K-1大阪大会の開催日だからだ。

この大会がAbemaTVで観戦できるというので急いで家に帰って来たのだ。

家でゆっくり試合を観る為に。

 

今日のK-1で一番楽しみにしていたのは何と言ってもメインの『武尊vs皇治』だ。

武尊選手は試合をいつも圧倒的な攻撃力で相手を倒して盛り上げて勝つ。そんな凄い選手である武尊選手を相手に皇治選手がどれだけの試合をできるのか。

しかも、この試合が組まれるまでには、皇治選手がこれまで長い時間をかけて武尊選手を挑発し続けてきたという前フリがあるのだ。これまで全くと言っていいほど相手にしていなかった武尊選手がついに皇治選手との試合を受けて、皇治選手の地元である大阪で新生K-1発の大阪大会を開催し、そのメインイベントで試合をするというストーリーがあったのだ。

 

格闘技の試合にしては珍しく長い時間をかけたストーリーがここに来て実現するという流れ。それもこれも、どちらの選手もこれまでずっと闘い続けてきて選手としての価値を上げてきたから実現に結びついたのは容易に想像できる。

 

武尊選手は、『史上初3階級制覇達成』という偉業と『K-1チャンピオン』としてずっと勝ち続けている実績とそれに裏付けられた人気と他の選手には無い華を兼ね備えている。

片や、皇治選手は、試合内容に派手さは無く、実績も勝ったり負けたりのそこそこ強いというたくさんいる選手の内の1人と言った印象だ。ただ、誰と試合をするのでも必ず相手選手を徹底的に挑発しまくって試合までの注目度を上げていき、知名度も人気も自分より上である相手選手をキレさせる記者会見を経て自分の知名度と人気を上げていくという方針で、この過酷なK-1という世界の中で、自分自身の価値を自分で上げていった。

 

こんなアプローチの違いを持った両選手が対戦するというのだから、格闘技ファンとしてはこの試合を観ない訳にはいかなかった。どうしても生放送で先入観の無い状態で自分の目で観たかったのだ。K-1というフェイクの混じる要素が皆無のこの世界の中で長きにわたって繰り広げられてきたプロレス的な世界観の結末を、この目でどうしても見届けたかったのだ。

 

そして、K-1大阪大会をAbemaTVで観戦した。

 

結果は、大方の予想通り、武尊選手の勝利で終わった。

だけど、この試合は新生K-1史上に名勝負として語り継がれる試合になるだろう。

それ位、熱く激しい試合だった。

文字にすればするほど使い古された表現しか出てこないけれど、それらの表現が最もわかりやすく伝える事ができる気がするのだ。

この試合は、激闘。死闘。死力を尽くした闘い。精神が肉体を凌駕した闘い。気持ちが体を支えていた闘い。最後は技じゃなく、気持ちの勝負。男と男のド突き合い。

こんなしょうもない表現でしか表現できないような試合だった。

 

正直に言って、試合を観ていて実力の差は感じた。

武尊選手のレベルの高さ、強さはAbemaTVで観てるだけの俺にもハッキリわかるくらいには差があった。だけど、現実的なその差を、気力によって確実に狭めていたのだ。それもハッキリわかった。

K-1の試合は打撃なので、「強い攻撃が当たれば試合の結果はわからない」という部分が常にある。その一発で試合をひっくり返すかもしれないという期待を常に持ちながら試合を観戦する事ができた。観てる側からすると「もしかしたら皇治選手勝てるかも」という期待を大きく持ちながら試合を観る事ができた。

 

そして、この試合をハラハラドキドキしながら観戦する事に繋がったのは皇治選手が倒されるイメージがあまり湧かなかった。なぜならどんなに強い攻撃を喰らってもどれだけスタミナをロスするような動きをしても、「勝ちたい」という気持ちが画面からでも伝わってくるように見えるほどの“気魄”が感じられたからだ。

更に、その皇治選手の気魄に真っ向から立ち向かって真っ向からぶっ倒そうと考えている武尊選手の”気魄“もとてつもなく画面から感じられて、この試合を生中継で観る事ができて、本当に良い時間を過ごせたと感じたのだ。

 

どんな格闘技のどんな選手もプロでやっている以上は、皆同じような気持ちで文字通り「人生賭けて」試合に臨んでいる人の方が圧倒的に多いのだ。

だけど、ほとんどの試合はこんなに、熱く激しく面白く共感と感動を生む試合にはならないのだ。

 

今日の試合のような素晴らしい感動のグルーブをを生み出すためには、恐らく、『試合する選手達が人生というか己の全存在を懸けて試合をする事』と『絶対に勝つという気持ち』は必ず必要だ。

だけど、それを備えているプロ格闘家は山ほどいる。

でもほとんどの選手達はそんな試合を生み出す事はできない。

じゃあ、今日のような試合が起きるにはどんな事が必要なのか?

 

それは、「自分が勝つ」という自分だけに向いた矢印以外の矢印が必要なのだ。

「自分が自分の行動でこの世界を動かす」という自分から外に向いた強い想いが。

 

それらを持った両者がリング上で最大最高のパフォーマンスを発揮した時にだけ、今日の

武尊vs皇治の試合のような、ありとあらゆる感情を想起させながら観ていた人達の心を動かす事ができるのだ。

 

「格闘技の試合は勝負論だ」なんて訳知り顔で物を言う人達の試合に心を動かされたことは、俺は一度も無い。

いつだって、俺が心を動かされて感動する試合は、選手から「この世界を動かす」という想いが昇り立つのを感じた時だけなのだ。

 

観ている人達が感動する試合は狙ってできるモノじゃない。

だけど、本気で世界を動かそうと思ってる人達にしか人を感動させる事はできない。

「覚悟が違う」「背負ってるモノが違う」そういう事を言葉として言う人達は世の中にたくさんいる。事実、その人達の世界の中ではその言葉通りの想いがあるんだと思う。

だけど、その想いを、自分以外の人達に届けるには言葉だけじゃダメだ。試合の結果だけじゃダメだ。勝負に勝つだけじゃだめだ。

事実、今日の武尊vs皇治の試合では、敗者である皇治選手からも様々な事を受け取った人達が多数だったからこそのあの盛り上がりだったのだ。

 

勝ち負けの勝負論を超えた、煽り煽られというエンターテイメント性を超えた、何か。

この世界を変えるという強い想いを背景に持った人がその想いを体現した行動こそが、観ている周りの人達の心を動かす事ができるのだ。

 

そういう事を、そういうモノが存在するという事を、今日の試合でハッキリ理解する事ができた。

武尊選手と皇治選手に、心からの感謝と賛辞を送りたい。

 

仕事から真っすぐ帰ってきてよかった。

この試合を生放送で観れて良かった。

 

武尊選手、皇治選手、素晴らしい時間をありがとうございました。

 

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