シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

五分の盃を交わすための唯一の条件


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「分からないことは何でも聞いて下さい」

ウチの会社では、全てのスタッフがこう言われている。
先輩から、上司から。
誰もが、いつでも、何度でも、何でも質問して良いのだ。

新入社員は、誰であってもこの事に感謝をしている様子だ。
「前の職場では、何回同じ事聞くの?って言われる事もあったので本当にありがたいです」
そう言うスタッフもたくさんいる。

だけど、そういう事を言うのは新入社員がほとんどだ。
当然ながら、月日が経つにつれ、分からないことは減っていき、分かることできることが増えていくので、段々と質問をする機会は減っていくのだ。

とは言え、新しく任された業務については思う存分質問をした方が良い。
分かったつもりで業務を進められてしまう事が、会社にとっても上司にとっても先輩にとっても、そして、本人にとっても、その業務に関係するありとあらゆる人にとって、一番困る事だからだ。
だから、ベテランであっても分からないことについては質問した方が良いことがたくさんある。

だけど、ベテランがしない方が良い質問というのが存在する。
それは、『少し考えたら分かる事』だ。
もう少し言うと、『自分で考えるのがめんどくさいから誰かに聞いて、返ってきた答えの通りにやろうとする事』だ。
これは、絶対にやらない方が良い。

なぜなら、疑われるからだ。

聞いた人の、能力を。
聞いた人の、仕事への取り組み方を。
聞いた人の、真摯さを。

これらが疑われるという事は、
組織で仕事をするうえで、その人にとってプラスに働く事は何も無いと断言できる。
その後で、その人が例えどんな事を言ったとしても挽回する事は難しい。
それまでに積み上げてきたモノすらも、疑いの眼差しを向けられる可能性すらある。

その時に最悪なのは、
「だって、何でも聞いて良いって言ったじゃないか」
と言うことだ。

何でも聞いて良い。
この言葉に偽りは無い。
『何を聞くのか』のは自由だ。
だけど、
聞かれた事について、
『どんな回答をするのか』
それは聞かれた人の自由だ。
それを踏まえた上での、
質問の自由だ。

お互いが自由である事。

これが本当の意味での対等だと思う。
教わる方も教える方もどちらも対等だ。

分からない人は、分からない事を自ら発信して聞く。
知ってる人は、知ってる事を丁寧に伝え教える。
それによって、業務が効率的に進み、組織の目的が果たされる。
そうすることで、お互いと組織の利益に繋がる。
みんなが良くなるためにも対等の関係である事が必要だ。
そこには、誰もが真摯に仕事に取り組むという事が絶対に必要になってくる。
ここに多様性は介入してはいけないし必要ない。
それでこそ、誰もが対等であり自由でいれるのだ。

「何でも聞いて良い」
この一言には、とてつもなくデカイ優しさが在る。
でも、その優しさは『真摯さ』を持つ人だけが触れることができるモノなのだ。
真摯じゃないヤツらには、
触れることさえ許されないのだ。

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