シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

あっち?こっち?そっち?どっち?


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今日は、某自治体の方々との打合せがあったので片道2時間弱の道のりを経て、某自治体まで行ってきた。
打合せの内容は、数か月後に開催される自治体主催のイベントに関するものだ。
というのも、このイベントにうちの会社が協賛する事になったのだ。

協賛とは言っても、実のところは出展させてもらうのと引き換えに、イベント運営の細々したところをうちの会社が肩代わりをするというような話なのだ。
こんな場合には、当然の如く『特命係長』である俺に任務遂行の指令が下りるのだ。

そんなこんなで、打合せの場には、主催の自治体だけでなく自治体に関わる様々な人達が大勢参加していたのだ。
そんなメンツで打合せが始まったのだが、参加者の中には始まって早々に舟を漕ぐ人がいたり、進行役の投げ掛けに対して全くあらぬ方向への回答をする人達がたくさんいたり、全く関係ない話を延々し続ける人達がいたりと、なかなかにカオスな状態だ。更には、進行役の人までが自治体のトップと如何にツーカーかという自慢話(?)を始めてしまい、もはやどこへ向かっているのかが全く分からない状態に突入してしまった。

結局3時間を超える打合せの結果、うちの会社が担う役割りについては、この打合せに参加する前に確定していた内容と何も変わらず、この打合せに参加した意味が何も見出だせない状態で終了した。

もちろん、俺以外の参加者はその自治体の近隣に居住している人達ばかりであるし、今日という日はこの打合せの為に空けてあったという事なので、この打合せをして「長時間に渡って白熱した内容で皆さんと議論できてとても有意義でした。やっぱり顔を合わせて話をする事の大切さをあらためて感じました」というような感想を皆さんが口々に言っていた。

それを聞いた俺は、何を思えば良かったのだろうか。参加者の皆さんに対して、お礼の言葉を述べたのがその時の俺にできる精一杯だった。

身をおいている場所が違えば、同じ物事への捉え方は当然違うし、取り組みかたも当然違う。価値観も、考え方も、方向性も、何もかもが違うのだ。この状態で、一緒に物事に取り組んでなにがしかの成果を達成するということが、どれだけ難しいのか。
せめて、目指すゴールが同じ方向であれば良いけれども、そこを統一する事ができないのがもどかしい。

どこを向いて仕事をするのか。

これが、その仕事に纏わるありとあらゆる事柄の価値を規定するのだ。