シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

シオタ、バカ一代!


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これは自画自讃なんだろうか?

俺は、まるで小学生のように、自分の事を天才だと吹聴する事がある。もちろん、外ではそんな事はしない。至ってまともな人間であるかのように振る舞うのは得意中の得意だ。小学生のような振る舞いをするのはあくまでも自分の仲間に対してだけ。もちろん、そんな俺の振る舞いは迷惑千万なんだろうけど、とりあえず今のところはスルーしてもらっているので、ギリギリ許容範囲なんだろうと勝手に解釈しているところだ。

でも、その“自称”天才である俺の、天才性が証明されたのが今日だ。

今日は、社内に一人でいる時間が長めにあったので、今後を見据えて専門書を読み込んでいた。週刊誌とか漫画雑誌を読んでいた事の比喩ではなく、正真正銘の専門書だ。ここについては強目に書いておかないと信じてもらえない可能性があるので強調しておく。そんな、専門書を読み進めていた時の事だ。業界では、その先進性と専門性の高さから知らない人はいないであろう著者のとある理論が図解入りで説明されていたのだけど、その図と理論に見覚えがあった。読み進めてみると、先日、俺が社内で仲間に対して図解入りで解説していた持論と全く同じ事がほぼ同じ図を用いて説明されていたのだ。言葉選びは流石に研究者というだけあってとても理解しやすい言葉で説明してくらていたけど、理論の大枠も流れも結論も、そのほとんどが俺の持論と全く同じなのだ。それが専門書の中の、屋台骨ともいうべき部分で語られていたのだ。

これには俺も驚いた。俺が語っていたのは、俺の経験を元に感じて考えた俺のオリジナルな持論だ。でも、その持論が間違いなくあらゆるところで起きている問題の解決に必要不可欠な考え方である事は、これまで見聞きしてきた事象と、俺の中の感覚が「間違いない」と示しているモノだ。その自分の事を感覚を仲間に伝えるために、自分の中の概念を図解入りで説明したのが先日の事だ。その理論が、最新の研究をしている研究者の書いた最新の専門書に記載されているという事実。

そして、当然の事ながら、その理論面以外のモノもその多くが俺達の考えている事と合致していたのだ。

もちろん、俺がこんな事をこのブログで発信したからと言って何になるというわけじゃないのは分かっているし、何なら「コイツ何言ってるんだ?」と思われるのが関の山なんだろうけど、この事実がどういう事なのかは当時者にしかわからないと思うのでそれは別に問題ではない。問題なのは、今日のこの事実を俺が忘れてしまうかもしれないという事だ。

何故なら、俺にとっては当然の事だからだ。

何が当然かというと、俺達がやっている事が実践者の中での最先端であるので、最先端の研究者の理論が俺の中に既にあったとしても、それは俺にとっては驚くべき事ではないのだ。これを期に、自称を外して真の天才を名乗ろうかと真剣に考えている。

この話、シオタのビッグマウスじゃなくて、客観的事実である。

この男は、実在する。