生身で突っ走る
先日、仲間と話をしていて気付いた事がある。
ウチの若手達を始めとした、話の通じない人達。そう、『世界の主人公』でいる人達が生けている世界は『バーチャルな世界』なのかもしれないという事だ。
『バーチャルな世界』つまり、ゲームの中のような世界。そこにあるのは、誰かに作られた世界で、自分はその世界の主役としてそこにいる。周りにいるのは、主役以外の人達と舞台装置だ。
そんなバーチャルの世界で生けているから、失敗しても次に頑張ればいいし、一生懸命やってれば点数や経験値が勝手に手に入り勝手にレベルが上がって強くなり、自由といいながら選べる選択肢は限られている中から選べば話は進んで行くし、何かをやらかして死んでしまうような事があってもそれはゲームの中のキャラが死ぬだけ。
だとすれば、自分が痛みを感じる事も無いので、人の痛みなんて分かる筈もない。
思うように話が進むはずがないので、我々からするとちょっとした事に見えるようなことでも強いストレスを感じる。
全力の出し方もわからないし、積み重ねが未来に繋がる唯一の方法という事もわからないし、考えて物事を進める事も難しい。
これとは逆に、『自分の人生の主人公』達は、『生身の世界』で生きている。
そこには、痛みがある。自分以外の誰かも主人公だ。そして、何をやるのかどうやるのかも自分次第、経験値が手にはいるかどうか何もかもやってみなくちゃわからない。
ありとあらゆること全てが自由だからこそ面白い。
この世界に生きる人達には二種類の人達がいて、それぞれにはこんな違いがあるのかもしれない。
こんな話をした後に、
俺達は『主人公』として生きていく事をあらためて確認しあい、お互いに約束した。
俺たちは自由だ。