シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

常識 ⇔ 非常識 ∞ 無常識

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これまで、様々な事柄が『通用しない』人達に多々出会ってきた。

その中でも、今日はとびきりの『通用しない』事があった。

それは、『常識』。

今までにもたくさんあったので、今更な気もするが、今日のはなかなかとびきりだった。

『常識』の話をしてるはずなのに、全く別の『何か』の話をしている。

そんな様子だったのだ。

 


最近では、「常識なんてあてにならない」とか「常識にとらわれるな」とか、『常識』を持ち出す人達や、『常識』それ自体を揶揄するような言説を見聞きする事が多くある。

でも、本当に『常識』ってバカにするような概念なんだろうか?


『常識』という言葉を調べたらこんな意味が出てきた。


じょうしき
【常識】
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。


他の意味も出てくるかもしれないけれども、とりあえずこの意味を見ていくと、
「健全な一般人が」とある。
つまり、常識を備えているのは、健全な一般人という事。
その健全な一般人が「共通に持っている、または持つべき」モノである。
そして健全な一般人が、持っているまたは持つべき「普通の知識や思慮分別」とある。

という事は、『常識』を共有知として対話を成立させることができるのは、
健全な一般人であり、健全な一般人が織りなす社会の中では、普通とされる知識や思慮分別であり、何ら特別視されるような特殊な知識や思慮分別ではないという事だ。

『常識』を前提に対話をする事は至って日常的に、特に構える事もなく、自然に行われる事である。それこそ『普通に』だ。そして、この『常識』を前提にした対話がコミュニケーションのスタートになって、様々な物事を考えていく事になる。様々な物事を作ったり動かしたりして、その結果が仕事になる。

でも、ウチの会社をはじめとした、最近のこの社会では『常識』が通用しない人達がとても多いと感じる。
つまり、健全な一般人が共通に持っている筈の知識や思慮分別が無い人達が大勢いるのだ。

うすうす気づいてはいたんだ。

でも、やっぱりそうなんだ。

『健全な一般人』は、今では少数派になってしまったという事なのかもしれない。


そして、恐らく、
この『常識』を備えている『健全な一般人』として生きていくためには、『健全な一般人』になるための最低限必要なモノを備えないといけないんだと思う。

それが一体何なのか。

大方の予想はついてきたけど、確証が得られるまでにはもう少し時間と研究が必要な気がしている。

 

まだ、結論は出ない。

 

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