目に見えるモノが全てじゃないのかもしれない
今日は日曜日。朝からアニメの鬼太郎を見た。
ここのところ、日曜日は可能な限り鬼太郎を観るようにしている。
というのも、妖怪の行動原理が気になるからだ。
妖怪の行動原理は人間には理解が難しいというのが設定のようだ。
ただ、妖怪の行動原理は、他の人間には理解できないが、その妖怪には至極最もな理由で構成されているというのが定番のようだ。
そして、ほぼ毎回、このような行動原理に基づいた妖怪達が出てくるのだ。
今回は、蟹坊主が敵役として出てきた。
実に悲しい話だった。
この中で、妖怪と人間の価値観の違いが大きく表現されていた箇所があった。
妖怪に襲われて、鉱物にされてしまった身内を心配してそこに駆けつけようとする人間の女の子と、それを見ていて即座にその女の子を逃がす妖怪の図。
結果、逃がしてもらった人間の女の子と逃がした妖怪が、この話を解決する重要な活躍をしたのだけど、これぞ現代のビジネスシーンそのものだなと思ったのだ。
どういうことかというと、
ビジネスシーンでは、如何に合理的な判断をして、如何に合理的な行動をするかが求められている。
合理性がなければ、結果には結び付かない。
片や、ビジネスシーンで活躍できない人は、往々にしてその時の感情を元に動こうとする。例え、その判断が余りにも結果に結び付かないと分かりきっていても感情を優先しようとする。
こん見ると、鬼太郎に出てくる妖怪達は、実はとてもビジネスライクなんじゃないか?
そんなきがしたのだ。
妖怪にしか分からない行動原理で動く妖怪達。でも、理由を聞くと実に納得できる理由か存在する。
その理由は、傍から見てる人間には理解できないが、妖怪にとっては全存在をかけても闘う理由になる。
こう考えると、俺は、妖怪なのかもしれない。
俺が闘う理由は、会社の中では誰にも理解できない理由かもしれない。
でも、聞く人が聞いたら、それは仕方ないよね、なんて事になるすようなそんな話かもしれない。
そんな、水木しげる先生の凄さを垣間見た日曜の朝だった。