シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

何よりも付き合いが長くて深いこの体


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自分の体とのつきあい方について考えた。

一口に『体』と言ってもなんのことやら分からないという反応をされる。当たり前だ。体は誰にでも備わっているからだ。脳みそだけで生きている人間はいない。いるとしたら、ルパン三世に出てくるマモーくらいのもんだ。だから、誰にとっても体はとても身近なものなんだと俺は思っていた。そんな内容の事は以前も書いたので、今日はまた少し別の話だ。と言っても、大きく内容が変わるわけでもないと思う。ただ、俺がこの世界を生きていくうえで、自分の体をどんな風に扱って位置付けているのかというような話だ。

俺はこれまで体をたくさん使ってきた。多分、世間一般の人たちよりもかなりたくさん酷使してきたんじゃないかと思う。もちろん、俺よりも体を使って生きてきている人達がたくさんいるのも知っている。だから「体の専門家です」とは言わない。そういう人達はアスリートと呼ばれる人種だ。そのひとたちと比べたら大きな差が❤️るかなとは思う。でも、アスリートを除いた一般人の中では、自分の体というものについてそれなりに自覚的に生きている方だとは自負している。なにしろこれまでの人生において自分の体で味わった痛みや、自分の体を使った様々な実験によって、人体がどんな構造をしていてどんな刺激を与えると反応をするのかなどについて実践的に学んできたのだ。その結果、俺の体は多分俺の脳ミソよりも賢くなっているような気がするのだ。

俺の体は、脳ミソよりも速く反応する。例えば、相対した人間の攻撃を見て「こうやって避けるぞ」と考えるよりも速く反応してうまうこと避けてくれるのだ。それを実証するエピソードとしては、ボクシングで高等技術だと言われているスリッピングアウェイを誰にも教わったことも無いのに使えていたのだ。ちなみに、その瞬間に頭で考えていたのは「ヤバイ」という事だけだ。これは昔の話だけど、それくらい俺の体は賢いのだ。他にも、色んな体験はあるけど、ここに書いて挙げていってもそれが本当の話だと実際に証明する方法はないのでこの位にしておこう。でもまあ、俺が知っている自分についてはこういう認識なのだ。それを元に、俺は脳ミソよりも体が賢いと言っているという感じなのだ。

そんな、身体性を持って生きている俺は、その行動の全てが体をベースに活動しているようなのだ。例えば、本を読むのも身体性が関係してくるのだ。うまく説明がしづらいけれども、俺にとって読書は知識を増やすというよりも、自分の中に読んだ本の中身を取り込むような感じなのだ。少し大袈裟に言うと、本を読むことで実際には体験したことの無い事柄も、まるで自分の体験かのようにインストールすることができるのだ。できるのだとは大きく出た感じだけど、全ての事をというわけではないけど、実際にそういう感覚を持てるモノも実際にあるのだからまるっきりの「うそおおげさまぎらわしい」という感じでも無いと自負している。実際に、身体運用について本を読んで身に付けたものもあるのは事実だったりするのだ。

自分がそんな感じなので、結構最近まで、他の人もそういう感覚を持っているんだろうなと思っていたのは、恥ずかしながら本当の話だ。でも、どうやらそういう人は俺の周りにはあまりいないらしいのだ。こんな感覚を持ち合わせているという人にあまり出会ったことが無い。だから、身体性を強く持ち合わせた一般の人というのはあんまりいないんじゃないかと今は思っている。もちろんこれは、本を読むだけの話ではなくて、見るのも聞くのも話すのも行動するのもその他の様々な事にも同様の事があったりするのだ。一つ一つ書いていっても、これまで以上に何の話なのか分からなくなると思うし、これを文章で表現するには、俺の表現力の限界があるのでやめておくけど、まあそういうことなのだ。

そんな自分の身体性を伴った世界観と、脳ミソよりも賢いこの体が俺は結構気に入っているのだ。これだけ長々と書いてきて、最後にまとめるとこんな内容で終わってしまうというのもまあ俺の身体性故にということでどうか容赦の程を。