シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

瞬間湯沸し器というアダ名を考えた人は本当に凄いよ


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どうにも我慢ならない事があった。

俺は、自分が何に怒っているのかよくわからないまま怒っている事がある。何を言っているのか分からないと思うけど、でも本当にその通りの事が起きるのだ。めちゃかちゃに頭に来て、怒り心頭に発すという状態になっているのにその理由が明確に分かっていない時がたまにあるのだ。もちろん、後々きちんと考えればよくわかるけど、その瞬間には何に怒っているのか分からない。でも、脳ミソよりも先に俺の体が反応しているような感じだ。

そんな時、一体何が起きているのか?そのメカニズムが少し分かってきたのだ。

それは、俺の言い分を一切考慮しないまま否定的な言動をされた時に起きるのだ。とにかく一方的に文句を言われた時、これまでの文脈を一切無視して一方的な要求を突きつけられた時、こちらの考えを求めておいて投げ掛けたら一蹴したうえで元々持っていたアイデアをごり押ししてきたとき、等々。そんな時にどうやら怒っているようなのだ。

なぜそれが分かったかと言うと、今日、立て続けにそんなことが起きていたからだ。それほど久々という訳でもないけど、こんなに自分で自分の怒りの感情に振り回されるほど頭に来たのは1年の中でもそんなにあることではない。だけど、その理由のうちの一つは中々にショボい。個人的には小さくないかもしれないけど大きな問題でも無いようなことなのだ。こんな時、自分の小ささをつくづく思いしる事になる。おれは本当に小さな男だ。もっとドーンと構えて、自分で気持ちの切り替えをパチッとできるような男になりたいのだ。でも、それはなかなか叶わない。いつもこういう時に思うのは、自分で切り替えたいと思ったときに気持ちを扱いやすい状態に切り替えることのできると本当に負担が少ないだろうなあということだ。

しかし、そういうわけにはいかないから人生は面白いのかもしれない。いい大人になっても、こんな事もできない自分という存在を思い知らされながらも、他の部分では自分でも惚れ惚れするような天才的な能力を発揮していたりもする。そうやって、良いところもあれば改善したいと思うところもあって、そういう部分が俺にとって俺が俺を好きでいられる理由なのかもしれないと思わされるのだ。でも、こんな他人が身近にいたらきっと俺は困るのだ。もっとなんとかなって欲しいと、一方的に思うだろう。まさに、自分の事は棚上げした状態で。そんな、理不尽さを持っていながらも、どうしようもない事で頭に来ながら、恐らく他の人間がどれだけ試行錯誤してもできないであろう事を、どうにかやり遂げる自分を眺めると、このアンバランスさを我ながら好ましく思ってくるのだ。

そんな事を考えると、どうでも良いような事で頭に来ている自分であってもなんとかかんとか頑張ってやっていくしかないんだよなあと思うしかなくなってくる。何の解決にもなっていないのも重々理解しながらも、まあこうやってやっていくしこないんだよなあということなのだ。致し方なし