シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ハラワタニエクリカエルノゴトシ


f:id:shiotapathos:20191221094119j:image

自分の短気をなんとかしたい。

とにかくすぐ頭に来る。今日も一日の中で何度も怒りが沸いて来た。
自分でもどうしてこんなに怒りっぽいのかと考えることもあるけど、とにかく頭に来る事が多いのだ。

怒りの原因はどこにあるのか?例えば、ストレスが溜まっているとか?日常的にストレスを感じる原因は、今のところお金の話くらいだ。じゃあ、疲労が溜まっていて我慢がきかなくなっているのか?確かに体は疲れているけど、ありとあらゆる場所や場面で怒っているわけではない。じゃあ、一体何だろう?

きっとこれは、場面ごとに理由が違うのかもしれない。ふと、それに気付いたのだ。
それは、ジムでの出来事だ。

今日も一通りトレーニングをして、一番最後に最近恒例の有酸素運動をしようとマシンが並んでいるところに行っておもむろに一台のバイクにまたがった。しかし、漕げども漕げども全く作動しない。そう言えば、「このマシンの調子が悪いから作動するまではゆっくり濃いで下さい」というスタッフの人のアドハイスを思い出したので、ゆっくり漕いでいた。それでも、作動しない。時折、作動しそうな表示が出てはまた消えて、作動しそうな表示が出てはまた消えてを繰り返した。マシンに座って約5分間こんな事を続けていた。最近、仕事を終えるのが遅くジムに来るのも遅くなっていて、時間も時間なので、次で作動しなかったらもうやめようと思ってゆっくり濃いでいく。すると、さっきより動きそうな雰囲気の表示に変わった。「よし、いける!」そう思ってしばらく漕いだ。そして、画面が消えた。結局ダメだった。

その瞬間だ。思わず機械を殴りたい衝動が急激に沸いてきたけど、なんとか何事も起こさずにマシンを降りた。そのまま、近くのランニングマシンに移り、脚の筋肉痛をおして有酸素運動をするために、速いペースでマシンの上を歩き続けた。バイクなら漕げたはずだけど、直接自分の脚で歩くのは筋肉痛の体には負担がデカイ。走りたくても走れないくらいには。それでも、とにかく一生懸命歩き続けて20分。しかし、消費カロリーはバイクを漕いだのに比べたらほぼ5分の1程度。しかも、俺がさっき漕いでも作動しなかったバイクが、俺の後に座った人が漕いだら、なんの問題もなく普通に作動していたのだ。もちろん、また、怒り心頭だ。

この時の怒りの理由は、機械が用途を果たさないことと、それにより俺の叶えたいことが叶わなかったという思い。これだけが理由なのだ。

しかし、それ以外の場面での怒りの理由は全然違う。端的に言えば、人から軽んじられていると感じる対応をされた時だ。そして、それはとても多岐にわたるのだ。
例えば、ウチの会社を軽んじるような言動をされた時。そして、俺個人を軽んじるような言動をされた時だ。軽んじるのニュアンスが難しいところではあるけど、蔑ろにされるとか、邪険にされるとか、悪態をつかれるとか、そんな感じだ。そこの根底にあるのは、『否定する態度』だ。

そこに過剰に反応するみたいだ。自分でも何に怒っているのか分からないくらいのスピードで瞬時に怒りが沸き上がってくるのだ。それからしばらくして、クールダウンした後にその理由を分析して理解する。

この怒りをうまく使いこなせればいいんだけどそれがなかなかうまくはいかないのだ。もちろん、誰かやどこかにぶつける事は基本的には無いけど、口を開けばその怒りが溢れてきそうになって、話ができなくなる事はある。
でも、センサーとしてはとても役に立っている。

自分の中に怒りが沸いた時、それは一体何に対しての怒りなのか?なぜ怒りが沸いてきたのか?それを突き詰めていくと、本当の事が見えてくる場合が多いのだ。いわゆる、違和感の正体というモノに近いかもしれない。
だけど、そういう正当な怒りもあれば、機械が動かなくて怒ってるだけのりふじんな怒りもある。そこを混同しないでしっかり分析して使い分けられればとても有用なセンサーなのだ。

だけど、それにはもっともっと修行が必要だ。怒りを感じながらも、冷静さを失わずに、その理由を分析するという同時平行で全く異なる性質のものを運用する離れ業をできるようにならないと。

道程はなかなかに険しい。