シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

ピカピカに輝く金色の戦士


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遂にこの日が来た。

人間が進化する瞬間に立ち会えたのだ!

「シオタのヤツとうとうおかしくなっちゃったのかな?」

そう思ったそこのあなた。確かに俺がおかしいのは否定しないけど、今日の話はそういうヤツじゃないのだ。ホントのヤツ。マジなヤツ。ホントのほんとに、人間が進化したのだよ。いや、マジで。

人間の進化と言うと、空を翔べるように羽根が生えてきたり、無くなった腕が生えてきたり、金色に光り出したり、瞬間移動ができるようになったりとか、そんなイメージかもしれないけどそうではなくて。今日、俺が言っている進化は、『他人の事が分かるようになる』という進化の事を言っているのだ。

うん。そうだね。言いたいことは分かる。「そんなの誰でもできるだろ」って事ですよね?

そうなんです。そんなの誰でもできるんだけど、実は、できないの。ほとんどの人はできないのよ、これが。ほとんどの人は、『自分の世界から他人を見て、こうなんじゃないかなと想像する』。想像力でなんとかしようとしていて、想像力が強ければ世渡りも上手くできるけど、想像力が弱いと生きていくのがキツくなる。そんな、他人の見方。これがほとんどの人がやってること。だけど、進化した人間は違う。進化したら、『自分の世界から出て、他人の世界に立って、そこからその人の事を見ることで理解する』のだ。

「そんなことあるわけないし、できるわけないと」思う人もいるだろうけど、実際にあるしできるのだからこの世界は面白い。知らない世界が自分のすぐ隣に広がっているけど、気づかなければその世界を見ることもできないし味わうこともできない。でも、自分が知らないだけで、すぐ隣の誰かは自分が知らないし一生かけても体験できない世界を味わって楽しんでいる。そんな事が幾らでも、そこら中に転がっているのだ。

だけど、この『進化』を知らない人からしたら、俺なんて「訳の分からない事をペラペラ話続けているヤバイヤツ」にしか過ぎないのだ。訳わかんねー事言って、悦に入ってホントに気持ちの悪いヤツだな、そう思われるのが関の山だろう。現に、そんな思いは散々してきたし、なんなら自分の仲間にすらもそう思われていた事だろう。自覚はある。

だけど、『進化』を遂げた仲間には、この話は通じるのだ。つい数日前までは完全に通じなかったこの話が、遂に通じるようになったのだ。

こんなに嬉しいことは無い!

なぜなら、俺にとってはもはや当たり前の風景だからだ。俺にとっては、進化を遂げた仲間が見えるようになったその世界が日常なのだ。誰にどれだけ「頭、いかれてるね」と思われたとしても、俺と俺の仲間には見えている世界があるから全然関係ないのだ。

こういう事があると、ついつい祝杯をあげたくなるけど、それはまた別の話だ。仲間が壁を越えようと奮闘したからこそ手に入れた進化。と言うことは、ずっと己との闘いをし続けていたってことだ。だから俺も、自分との闘いをこのまま継続するのだ。

進化は、人生の中で1回しかできないモノじゃない。現に、何度も何度も進化を体験している人もいるのだ。生きている限り、こういう本当の意味での人間の成長をしていって、それを自分以外の何かや誰かの為に活かすことができる日が来ますように。それまで、進化をし続けられるよう、己との闘いは終わらないのだ。

そう考えると、やっぱり、なかなかな苦行なんだなあと、あらためて思うのだ。生きていくって。

ても、その反面、知らない世界の扉がバンバン開いていく楽しさは間違いなくあるのだ。苦しいけど、楽しいし、変わっていく自分を体感するのが好きなんだ。