シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

逃げ出すのはどっちだと思う?


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どこの世界にも異端者はいる。

『最先端』とか『先進的』とか『先鋭的』とか言われる事もあるし、時には、『非常識』とか『カルト』とか『頭でっかち』とか言われる事もある。
だけど、本当にまともに取り組んでいるのなら、必ず成果が出ているはずなのだ。現に、俺が知っているそういう本物の異端者達は各業界の“正統派”とか“主流派”と呼ばれる人達からはつま弾きにされつつも、みんながみんな我が道を行き、その先々で成果を上げているのだ。その代表的な異端者達が例えばNHK でやってる『プロフェッショナル』に出てくるような人達なのかもしれない。
でも、まだあれほどの大々的なメディアには出ていないだけで、あの人達と同じようなレベルの異端者達は、様々な分野にゴロゴロいるのだ。

そんな、とある業界の異端者が最近全く別の業界と手を組んでこれまでに無かった新しい社会問題解決サービスを始めたので、その人がやっている仕事について同業の専門家からはどう見えるのか、その道では“優秀”と名高い人に見解を聞きにいった。もしかしたら、同じような仕事が俺達にも出来る部分があるんじゃないかという可能性を探る為に。

だけど、返ってきた反応は驚くべきモノだったのだ。

「それは業界のルール的に無理だと思うから、何か特別な抜け道的な方法があるんじゃないのかな?考えた限りでは出来るはず無いと思うけど…」

と、話が終わった。結論が「出来るはず無い」で終わったのだ。現に、やっている人がいるのに。同業の専門家でやっている人がいるのに。その事実があるにも関わらず、出来るはず無いから話が始まるのだ。

その話を聞いて、やっぱり『優秀』と言われる人達の優秀さというのは、その業界内の誰からでも評価が可能なモノ、言ってみれば誰にでも理解可能であり分かりやすくて、凡庸な人達にも持つことのできる指標の中の能力なんだなあと思ったのだ。
また、異端者というのは、異端である理由があるから異端者であり、その理由は凡庸な人達にはもちろん理解できないし、凡庸な人達には持つことのできない指標の中で生きているから誰にも測定不能であり、誰にも理解されないからこそ、はぐれ者になるんだなあと納得した。

最先端は、異端者が生み出す。

当然と言えば当然の事なんだけど、あらためて。どの世界でも、優秀な人が最先端を突っ走る訳ではないのだ。もし、優秀な人が最先端を行っている世界があるとしたら、それは、たまたまなのかもしれない。たまたま、優秀さを持った人が異端者の能力も持ち合わせているのかもしれない。

誰にでも分かる指標で生きているように見えながら、実は、誰にも理解できないし評価不能な指標を持っているのかもしれない。

全然知らない世界で生きるそういう人の話を、是非とも聞いてみたいもんだなあ。