シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

呪いを使ったよな?理由はそれだけで充分だ


f:id:shiotapathos:20190125233637j:image

 

「あの人、ホントに使えないんです」

そんな話から始まる相談を、上司に上げてきた人がいる。
Hさん(30代後半女性)だ。

Hさんは、今年から新店舗マネジャーを任された。部下を持つのは初めてだ。彼女が任された新店舗は、彼女も入れて総勢5名の小さな所帯だ。
とは言え、初めて任されるマネジメントで相当いっぱいいっぱいになるのだろうか、そんな風に、俺も含めてみんなが思っていたようだったが、彼女はその業務に就いてからというものいつでも「やりがいがあります」と話をしているらしい。

そんな彼女は、冒頭のような相談をいつも上司に上げているらしい。
「やりがいのある仕事」をしているが、「部下が使えない」というのが彼女がいつも話す内容だ。

聞けば、「やりがい」を感じるのは、マネジメントの部分だという事だ。
そして、「部下が使えない」という事に困っていてお手上げ状態だという事だ。


…。


まあ、色々思う所はあるけれど、これはこれで置いておくとして。

こんな相談を会社に上げた事で、彼女が言っているその部下のK君(30代前半男性)が、俺がいる本店に”研修”という名目でやってきた(だけど期間未定なので実質的な厄介払いなのか?)。彼の面倒をみることになったのは、俺ではなく、俺の同士である同じ中間管理職仲間のMさんだ。
ちなみに、Hさんは、このMさんの元部下でもある(今は組織的にMさんの直轄下ではない)。

そんな、Mさんの元にやってきた、Hさん言う所の”使えない部下”であるK君だが、前評判では「やる事なす事全てでトラブルを引き起こす」という噂だったK君だが、もう既に数週間が経過しようとしているが、一切何のトラブルも起こしていない。それどころか、彼の素直さや実直さは業務を遂行する際にとても生きてくるらしいのだ。一体これはどういう事なんだろう?
そう思っていたのは、どうやら俺だけではなく、現状で指導にあたっているMさんも感じているらしかった。

そんな折に、HさんからMさんの元に1本の電話があったそうだ。
内容は、「K君がまたやらかしてくれたんです。毎日、一旦こっちの店に出勤してから本店に行かせてるんです。で、昨日一日は新店舗のイベントに参加してたので、イベントの報告書を私(Hさん)にメールで出すように言ったのに。なぜかMさんのところに提出しちゃってって。ホントすみません。今度、よく言っておきます」そんな電話だ。

この報告書、確かに提出物なので受け取ったら上司が内容確認をする必要があるものだが、その実、特に大したものでもない。あくまでも、上司が部下の同行を把握するためにあれば良いものだ。とは言え、新人にとっては会社のルールを守るという事も大事なことなのでまずは上司にへの提出を徹底させる必要がある。そういう位置づけのモノなのだ。

そこで、MさんはK君に聞いてみたそうだ。

Mさん:「昨日の報告書の提出に関してどんな指示が出たの?」
K君:「はい。いつもMさんに提出しているように出して下さい、と言われました」
Mさん:「なるほど。Hさんに提出するようには言われなかったの?」
K君:「はい。言われていません」
Mさん:「わかりました」

こんなやりとりだったそうだ。


つまり、K君は、「いつもMさんに提出しているように”Mさんに”提出した」のだ。『言われた通り』に行動したのだ。

そして、Hさんは、「いつもMさんに提出している”のと同じ”ように”私(Hさん)に”提出して下さい」と言ったのにも関わらず『言った事が行われていない』と解釈したのだ。


この件に関して、『どちらに問題があったのか』をマスト判定で決める必要があるとすれば、間違いなく”Hさん”に非がある。
なぜなら、彼女はマネジャーだからだ。
管理する立場だからだ。

優秀な、いや、通常の能力のあるマネジャーであれば、誰が聞いても誤解が生まれる事のないような指示を出すはずなのだ。
優秀なマネジャーであれば、そこに、個人の能力や特性を踏まえた上で更に効果的な指示を出せるのだ。

そして、だからこそ、Mさんの元に来たK君は、それまでも評判を全く覆す程の有能な働きぶりができているのだ。


だけど、今日気付いたのは『マネジャーの能力の差によって生まれる部下のパフォーマンスの話』じゃないのだ。
そんなものは、有益なビジネス本に幾らでも書いてあるし、優秀な人が書いている様々なブログ等でも指摘されている事なので今更な話だ。
今日の本題はそんな事じゃない。

今日の本題はこういう事だ。

『K君のような”使えない人”は、誰かの手によって作り出されている』のだ。

例えば、Hさんのような”自分の優秀さを知らしめたい人”の手によって。
例えば、”自分はこんな使えない人にも親切に関わって声掛けしてあげる良い人だよと周りにアピールしたい人”の手によって。
例えば、”自分の影響によってこんなに使えない人も多少は良くなってきたでしょと言い募りたい人”の手によって。
そうする事で、”使えない人”は頭の中が更に混乱して、そこから出力される行動はパニックとなって表れ、その結果は”仕事ができない”という結果を生む。
そうなると、Hさんのような人達の関わりによって、”使えない”レッテルが貼られ、K君のように本人が自分自身に対してもレッテルを貼り、本当に仕事ができないと思い込み、余計な雑念に頭の中も体の動きも支配される事で、非常に簡単な事すらもミスをしてしまうような状態に陥る。
そうして出来上がるのは、誰が見ても”使えない”そんな人が作り出されていくのだ。

そして、”使えない人”が作り出された暁には、それを嘆きつつも”使えない人”を懸命に指導しながら必死に成果を生み出そうと努力をする”頑張る上司”がそこに関わるという構図が生まれ、その上司の関わりによって”使えない人”がまあまあマシになって多少の成果に貢献するようになり、その姿は成長ストーリーとして、”使えない人”本人と、それに関わった人たち、特に、その上司にスポットライトが当たる良いお話として周囲に伝わっていく。
そんな風に、誰かの犠牲によって生み出される、他の誰かの”身の毛もよだつようなシンデレラストーリー”が同時に生まれるのだ。

これは、ウチの会社だけの話じゃない。
この世の中の至る所で、日々、量産されているんじゃないだろうか。


だから、本当は”使えない人”なんていないのだ。


いるのは、”人を使う事ができないのに、使う事ができないのは自分の能力不足じゃなくて相手が使えないせいだし、自分には相手に影響を与える事ができる能力があるんだと言いたい人”がいるだけなのだ。

直接関わる人がたった一人だけ別の人に代わっただけで、周囲のだれからも”使えない人”というレッテルを貼られなくなった程の劇的な変容を遂げたK君を代表例として、この事は既に証明されているのだ。

これも現代の『呪い』の代表例だ。
だけど、こんな呪いを打ち破る為の方法は、現実的に存在するのだ。

己を高く見積もってほしいという、我欲丸出しの醜悪な存在にかけられるようなケチな呪いなんて、いともたやすく打ち破って、誰もが自分の人生を楽しく生きられる人が増えるように。そうなるように、呪いを見抜ける人達は、是非とも周囲で呪いにかけられてしまっている人に関わってほしい。

"使えない人"なんてレッテルは、ベリベリと剥がして、それを誰かに貼り付けて喜んでいる下級妖怪どもに、突き返してやる。こう唱えながら。

天地より万物に至るまで気をまちて以て生ぜざる者無き也。邪怪禁呪悪業を成す精魅
天地万物の正義をもちて微塵とせむ。

禁!


人を、テメーの為に道具扱いしてんじゃねーぞ。