シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

おもいコンダラー試練の道を行くが男のど根性


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とにかく練習あるのみ。

リフティングの練習、パスの練習、ドリブルの練習、リフティングの練習などなど。コーチから言いつけられた練習メニューはもりだくさんだ。

やれどもやれども、完璧なレベルでこれらのメニューをクリアする事はなかなか難しい。一体いつになったらこの練習メニューを完璧にこなす事ができるのか?

ある時、コーチから声をかけてもらった。
「おい、今日の試合、前半から出てみるか?」
こんなことはこれまでに無かった。
チャンスなのかもしれない。

だけど、

練習メニューがまだ完璧なレベルでできてないのにいきなり試合なんて、不安で不安で仕方ない。できるかどうか分からないし、自信が無いから今日のところは断っておこう。

「すみません。まだ自信が無いので、今日は辞退します」

よし。また明日から練習頑張って、はやく完璧にメニューをできるようになろう!


そして、彼は、翌週には『戦力外通告』を受けたのだった。

 

今日、会社で起きた事を、プロサッカーチームの選手に置き換えてみたら、結果、『戦力外通告』にまでなってしまうしかなかったけど、もちろん会社ではそこまでいってない。
だけど、如何に会社の中の話といえど、本番に臨むチャンスを断り続け、練習をひたすら繰返し、練習の完成度の追求を始めてしまったら、いずれ戦力外にカウントされてしまうかもしれない。

練習はあくまでも手段だ。
本番で最大のパフォーマンスを発揮して成果を出すための手段なのだ。
どこまで行っても、練習は目的にはなりえない。これを勘違いしてしまうと、もはや何のための練習なのか、サッパリ分からなくなってしまう。

練習は練習。本番で力を発揮して、成果を出せるなら極端な話、練習なんてやらなくたって何の問題も無いのだ。

だけど、「本番に備えて練習しなさい」という指示が出たのだから、自分はその指示に従って練習をしているんですよ。それが何か?
そういう事を平然と言ってのける人達の何と多いことか。もはやこれは若者だけではない。社会人経験の有無も関係ないし、もちろん性別も関係ない。どこにだって生息しているのだ。

あれ?
ということは?

もしかして、「何の為に練習をしているのか」、これを明確に認識して、その為に練習に取り組めるというだけで、もはや、多くの人達とはとても大きな差が生まれてしまっているということなのでは?

 


こんな仮説が「恐らく間違いがないだろう」という実感を伴ってしまっているのが、何とも恐ろしい限りだ。