シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

あれこそ希望の一筋の光りなのだ


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もう“底”だと思っていたけど、まだその先があった。

何度も何度もこんな経験をしているけど、それでもまた経験できたこの感じ。
いつも、「もうこれ以上ない」と思うタイミングがあるけど、まだその先に抜けられて、そんな時に自分はまだまだだなと思うんだけど、これを経験するたびにキャパが広がる実感があるのだ。
「グワッ」という感じなのか、「ジワー」という感じなのかはよくわからないけど、とにかく自分のキャパが明らかに広がって確実に階段を上がった実感が伴うのだ。
そのたびに、果てし無いこの先に続く可能性とか、ここまでやってきた自分への感慨深さとかを同時に感じるのだ。

これはいつま思うけど、真剣に物事を考えていても、それより先の“真の”真剣さみたいな状態になった時にやってくるようなのだ。真剣さのその先の真剣さとでも言うのか、とにかく自分では極めて真剣に考えているはずなのに行き詰まり、「もはやこれまでか…」と思って、それでもしつこく考え続けているとやってくるのだ。
この状態になると、それはもう自分達でもびっくりするような切れ味のモノがまさに降ってくるかのごとく、目の前に唐突に現れるのだ。俺達は、この現象に何度も救われてきている。それでいて、心のどこかでこのモードに入る事をいつも信じている節もある。もちろん、このモードには極限状態にならないと入れないのもよくわかっているのだ。

良いことづくめのこの状態も一つ困るのは、極限までいかないと入れないのでとにかく時間がかかるのだ。真剣に物事を考え続けて、本当に行き着くとこまで行かないとダメなのだ。なので、そこに行くまでに本当に時間が必要なのだ。
おかげでここのところジムに行けていない。そろそろジムに行かずに一週間が経とうとしている。

これだけ空いてしまうとなんだかジムに行くモチベーションがメキメキと減ってきているのがよく分かる。
このままじゃ、ジム再開にかなりのエネルギーが必要になりそうだ。

明日はきっと行くぞ。

そう思って何日か経つけど、きっとだ。