シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

今夜『寄生獣』になる前に


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爆発的に能力が上がった。

己の中にあった真の壁を直視して尚且つ越えようとしている仲間の話だ。

たった1日で、もはや別人のように、能力が飛躍的に上がっている。これはもう別人の如くだ。周りで見ている俺からしたら、あまりの能力の違いに驚きを禁じ得ないくらいなのに、当の本人と来たら、ほの変化に全く気付いていないのだ。

こちらで指摘しても、反応は薄い。まあでも、こんな感じだったよなあと、自分が過去にこうだった時を思い出した。
こんな風に書くと随分上から目線に見えるかもしれないけど、これは只の事実なのだ。俺もこの経験を何度もしてきているのだ。つまり、越えてきている。だからこそ分かる事がある。越えてきた者同士でしか分からない事がある。そんな感覚を、今日は本当の意味で共有できた気がしたのだ。

越えた人間からは、越えていない人間は大体分かる。だけど、これは越えた人間側からしか見えないモノなのだ。越えていない人間にはこの話は通じないし、そもそも「越えた」とか「越えてない」とかすらも理解できない。だから、越えた人間を見極める事はできない。とても当たり前の話なのだ。

この感覚の話をしている時、俺はいつもある漫画を思い出す。あの不朽の名作『寄生獣』を。読んでない人にはなんの話か分からないかもしれないけど、寄生獣は人間の頭(時々カラダに寄生される場合もあり)に寄生して、パット見では人間と同じ姿なのに、人間を襲って喰い殺す怪物になるのだ。普通の人達には見分けはつかない。でも、寄生獣同士は見分けられるのだ。そして、物語の途中から寄生獣が体に混じった主人公や、後半から出てくる連続殺人鬼にも寄生獣かどうかを一目で判断する力が備わっている。そんな件を思い出すのだ。

なった者にしか分からない世界はある。誰が何を言おうが、誰が信じようが信じまいが、厳然たる事実として、その世界は確実に存在する。なった者には、それが明確に分かるのだ。理屈なんて分からない。もはや分からなかった時と同じには戻りたくても戻れない。だけど、見れば誰がそうで誰がそうじゃないのかは分かってしまう。そんな、寄生獣のような見極める力。

己の真の壁を直視して越えようとしたら、思わぬ副産物が生まれてしまった。