シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

その地力は日頃の稽古の賜物だよね


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遠回りだと思っていたけど、結局のところ、これが一番近道だったのだ。

そう思うような紆余曲折が、週の頭の月曜日から起きたのだ。

人生は波乱万丈とはよく言ったもので、本当に波乱に満ちている。なんにも無ければ、今まで通りの平穏無事な日々が送れていたのかもしれないけど、これまで平穏無事だと思っていたその日々は、実際に本当の意味で平穏無事だったのだろうか?
そんな『問い』が日常にふいに投げ込まれたとしたら、世間の人達は一体どんな反応を示すんだろうか?
ある人は、聞こえなかったふりをして日常を何事もなく過ごして行くのかもしれない。またある人は、その問いを投げ掛けてきた人に対して、口汚く罵ったり、まるで親の敵かのように攻撃をして来るのかもしれない。またある人は、そんな問いを投げ掛けてきた人を直接は攻撃しないで、陰でこそこそ動いて、ひそひそと周りの人に話ながら世論を形成しようと企むのかもしれない。

だけど、ごく稀に、真正面からどしんと受け止めようとする人がいるのだ。

まるで、力士のぶちかましの如く、真正面から額で辺りに行くような勇敢さで、少しも避けようともしないで真っ直ぐ当たる。見ているこちらが少し心配になるくらいの激しい当たりだ。だけど、ひるまない。ダメージは当然あるはずなのに、全く怖じ気付くことなくそのまま前に出る。

これは、相撲を例えに使っているけれど相撲の話ではない。まるで勇敢な力士を讃えているかのようだけど、力士の話ではない。どこにでもいそうな風体の、単なる普通のそこら辺の起業家の話だ。勇敢な俺の仲間たちの話だ。

いつか誰かが言っていた、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」という台詞は、確かにあの時代を象徴する力士に向けられた言葉だった。だけど、それと同じくらいの、いや、俺からしたら身内贔屓も当然混みで見たとしたら、今日の仲間たちにこそ、その称賛を送ってあげたい。

精神力がめちゃくちゃに強いけど我慢弱い仲間と、精神力は弱いけどめちゃくちゃに我慢強い仲間。両方の良いところが発揮されると、本当に凄い力がわき出てくるのだ。そんな仲間たちを見つけられる俺の凄さは言うまでもない。

こんなに凄い仲間がいることで、俺の凄さが本の少しでも伝わると良いのだけど。本当に俺の凄さなんてもんがあるのなら。

とりあえず、それを確認するための一つとして、自分との約束を果たすために仕事終わりにジムに向かう午前0時。早く帰って寝たいけど、俺だけやらないわけにもいかないよな。