シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

お主なかなか出来るな!は、やり合った後にだけ感じ取れるはずなんだ


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金曜日、久々にたくさんの人と直接会って話をし、たくさんの人と電話やメールでコンタクトを取った一日だった。

どの人達も、俺たちの会社が提供するサービスを利用するうえでのやり取りなので、その内容が被る場合もあれば、全く別の内容で接している場合もある。その相手も、大手企業の人達や中小零細企業の人達であり、地域も日本各地、本当に様々な業界業種の様々な地域の人達とのやり取りを1日の中でしていて、気がついたことがある。

それは、“仕事が出来るかどうかは、どこの会社に所属しているか、どんな業界なのか、どんな職種なのか、どんな役職なのか、どんなキャリアを持っているのかは一切関係が無い”という事だ。まあ、こうやって羅列してみると、とてつもなく当たり前の話だし、当然ながら今までの実体験で知ってはいたけど、あらためて、これは揺るぎの無い事実であるという事が完全に確定したのだ。

今回こういう機会に立ち会えたのは、言うなれば偶然の要素がとても大きい。偶然でも何でも、巡ってきたこのチャンスを大いに有効活用させてとらうことにした。何しろ、今回提供するサービスの多くは、相手側が「どうしても利用させてほしい」と願ってやまないサービスなのだ。ただし、時期モノであり、恐らく一回コッキリしか提供できないという性質があるので、今後もずっとこれを続けることはできない。そういう特殊なサービスだ。

だからと言うか、だけどと言うか、今回の俺たちのように相手とは一線を画した客観的な立場で関わる事ができるから分かったのが前述の“仕事が出来るかどうかは~”の話だ。
仕事が出来る人は、大手企業にも中小零細企業にもいる。そして、仕事が出来ない人も、大手企業にも中小零細企業にもいる。業界も年齢も役職も職種も何も関係なく、どんな属性で切り取ろうと、仕事が出来る人も出来ない人もいるのだ。
つまり、仕事が出来るかどうかは、どんな属性なのかではなく、極めて個人的な話であるという事なのだ。

こんなことは、わかっている人には「今さら何を言っているんだ?」と思われる事なんだろうけど、世の中の多くの人はどうやらそうは思っていないらしい。何しろ、SNSや書籍や著名人・知識人の多くの人達がその肩書きに必ずと言って言いほど属性を記載している。ましてや、現在の肩書きではなく過去の肩書きを謳っているのだ。そして、それは“信用”を現すと言われているのがこの世の中だ。つまり、どんな属性なのか、どんな属性だったのか、それによってその人の質、つまり、職業人であれば『その仕事の質=仕事が出来る人』だということを保証しているというのがこの世の中の主流の考え方だということだ。

まあ、ここまでは別に何の問題も無いのかもしれない。世の中の主流の価値観がどうであれ、馬鹿げているモノは馬鹿げているのでそういう輩は取り合わなければ特に俺には関係が無い。
だけど、本当に恐ろしいのは、周りの人がそう見てくれているのと同等かそれ以上に、その属性を持つ当の本人達が心の底から信じているところだ。『自分の能力が高い=仕事が出来る=周囲よりも格上』という事を。

なんでそうなるのかは分からないが、大きな勘違いをした人にたくさん遭遇したのだ。なぜか分からないが、「え?ウチは優遇されるに決まってるし、そっちがウチの条件に合わせてくるんだよね?」的な態度の人達に。今回のサービスに関しては、利用してもらうかどうかを決めるのは俺達ですよと事前にお知らせしているにも関わらずだ。

謙虚さの持ちあわせが無い。それはもう言うまでもない。だけど、普通程度の能力があれば、事実を把握するだけで明確に分かるように伝えているのだ。このサービスに関しては、俺たちの提示したモノをしっかりクリアしないと利用が難しくなる可能性が極めて高いという事を。にも関わらず、礼を欠き、居丈高に振舞い、挙げ句、期限を守らないという、極めて仕事の出来ない輩が多かったのだ。特に、大手企業と言われるところの割合が高かったのは偶然なんだろうか。こういう輩は、仕事が出来ない=能力が低いだけではなく、真摯さが欠如しているのだ。

ちなみに、ドラッカーは言っていた。「真摯さは後から身に付ける事はできない」という趣旨の事を。

今回の事で見えてきた、「属性は、その人を信用する材料には成り得ない」というのは、間違いなく普遍的な事実なのだ。

ということは、「属性は信用である」として全面に押し出してくる人はどちらかの可能性が極めて高いということだ。一つは、自分の属性が自分の実力を表していると本気で思っていて、自分の属性により自分の実力が備わっていると本気で思っている人。もう一つは、属性が信用ではないという事を分かっていながら、世の中の価値観ではいまだに属性は信用を表しているとされているのでそれを利用しようとしている人。どちらに転んでも、なかなかにヤバイ。特に、実物に合う訳でもないネットの世界でこれを誇示しているのは、もう、何も言えねーって感じである。

本当の力を測るには、実際にその力を体感しないと分からない。こんな当たり前の事が、当たり前じゃなくなっているこの世の中はかなりヤバイんじゃないだろうか。
そんな事をあらためて考えた。