シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

昨日と変わらず日が変わって謹賀新年


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今日は大晦日。ジムも休みだし、出掛ける予定も特に無い。夜に、テレビの前に陣取って、年越しそばを食べて、お酒を飲みながら格闘技番組を観るだけだ。

そんなこれといった予定の無い1日なので、本を読み、空き時間で久々に自宅で自重筋トレをした。
自重筋トレは本当に久しぶりだ。恐らく最後にやったのは数年前になるだろう。ジムにも通っていなくて、自宅で自重筋トレするくらいしか運動する方法が無かった頃のことだから。
そんなに久しぶりにやったけど、体のレベル(鍛練のレベルとでも言うのかな?)があの頃からは明らかに上がっているので、自重筋トレでもかなり効かせる事ができるようになっていた。多分、体の使いかたの話なんだとは思うけど、レベルアップを実感するというのはこの歳になっても嬉しいものだ。そんなレベルアップした自重筋トレでささっと軽く追い込んで、読書に移る。

毎年、新年になる度に何らかの新年の抱負を掲げて、いつもいつも達成することができず、その度に自分への失望が増えていく。そんな負のループを止めてから何年かが経つ。なので、今年ももちろん壮大な新年の抱負やら目標やらは掲げない。
だけど、読書に関してはしっかりと目標を立てていこうと思ったのだ。何故なら、読書は壮大なモノでもなんでもなく、仕事にも暮らしにも必要でありこれからもずっと続けていかないといけないことだから。そんな風に今は思っているのだ。ようやく、この歳になって。それでも、こんな事に気付いてやろうとやらないとと思える事があるのは嬉しいものだ。

という事で、令和2年は、読書については目標を立ててクリアしていく。
目標はとりあえずわかりやすいところで数値にした。読むべき本の冊数だ。その数値が幾つなのかは特に書かない。俺の中でだけ把握して、俺の中でだけ達成できたかどうかが分かれば良い。だけど、これをクリアし続けていったら、1年後にはまあそれなりの何かにはなっているんじゃないのかなと思う。何しろ、今までは特に数なんて決めずにただ読みたいから読むという暮らしをしてきただけだ。それでも、実践に結び付く学びはかなり多かったと体感しているし、それなりの数は読んでいる。もちろん、世間一般の社会人の平均に比べたらという程度の話ではあるけど。まあ、平均については諸説あるけどもそこはあまり問題じゃない。問題は、平均を越えてるから良いって話ではなく、自分の気分次第で学びの機会が増えたり減ったりするってところなのだ。そんな事にも、ようやく今更ながらに気付いたのだ。この休みで、ツラく厳しい読書体験をしているのが大きかった。そのお陰で、読書の大切さが今まで以上によく分かった。今までの自分が如何に愚かだったのかというのも同時に理解してしまったのもなかなかツラく厳しい体験ではあったけど。それもまた嬉しいモノだ。

まあ、そんなこんなで、これを書いている間に令和2年がやってきた。

今年は、日常的に読書を取り入れて、自分の中の色々を更にバージョンアップさせて、仕事も暮らしもバージョンアップさせて、自分で自分に希望の匂いを感じ続けられるように生きていこうと決めたのだ。

2019年はもう終わった。去年は年の始めに、年末で死ぬと思って生きていこうと決めた。でも、振り返ってみると、死を覚悟した人間の生き方としてはまだまだまだまだ甘かった。今年も、年末に死ぬ。そう思って一日毎に生ききっていこうと思う。

強いて言うなら、これが俺の新年の抱負かもしれない。

こんな抱負を掲げられるように生きていられるっていうのも、まあ嬉しいモノだ。