シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

あー怖い怖いまんじゅう怖い


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今日は祝日だってことで、特に急ぎの仕事もないので会社には行かずに、ただただゴロゴロして過ごした。

最近、眠くて仕方がない症候群にかかっているので、今日もとにかくずっと寝ていた。寝ても寝てもどれだけ寝ても眠くて仕方がないので、今日はお昼まで布団から出なかった。そして、お昼御飯を食べた後に再び寝た。もしかしたら具合でも悪いんじゃないかと自分でも心配になるくらいに眠いのだ。しかも、昨日の晩は軽く頭痛もしていたからなおさらだ。もっとも、今朝起きたら頭痛は消えていたので、疲労か寝不足ご原因なんだろうとは思うけど、ここのところ結構長目に睡眠時間はとっているので本当のところはわからないけど。それでも寝ることができるうちは寝ておこう。

昼寝から目が覚めるともう遅めの午後で、そろそろ夕方とも呼べるような時間になっていた。重たい体をひきずりながらジムへ向かう。寝るかジムへ行くかの選択肢しか持ち合わせが無いなんて、この俺の存在をして『穀潰し』と呼ぶのかもしれないなんて思っているけど、それがどうしたとも思っている。ろくなもんではない。それにしても、祝日は道がそれほど混んでいない。夕方よりも少し早い時間、帰宅ラッシュもないのでジムまでスムーズに移動できた。

レーニングは肩の日。新しい方法を試してみる。とはいっても種目が変わるわけじゃない。セット数と回数に変化をつけるのだ。今までもこのやり方は知ってはいたけどやろうと思ったことは無かった。効果があるとは聞いていたけど、何故だかいまいち乗り気じゃなかったのだ。でも、今日やってみると、自分が乗り気じゃなかった理由がハッキリと分かってきた。

このやり方は、何しろ、ツラいのだ。

これまでもかなりツラいトレーニングだと感じながらやってきていた。少しずつではあるが体も変わってきて、効果もそれなりに実感はしていた。でも、何かが少し違う気もしていた。何と言うか、もう少しハッキリと成果が出てもいいんじゃない?と思っていたというか。とにかく、トレーニングの内容と体に反映される成果が釣り合っていないような感覚があった。なので、その原因がどこにあるのかを探っていって一つの仮説に行き当たったのだ。それは、これまでも知っていながらまだ試していなかった方法だ。それによってもたらされると言われている結果が俺の欲しいモノ=筋肥大=筋肉をでかくするという結果であり、それを試すしかないだろうと決断するに至ったのだ。方法は簡単だ。1セットで挙げる回数を、今まで10回目指しだったものを20回を目標にするというそれだけだ。つまり、回数を増やす=扱う重量を下げるということにもなる。個人的には、この、扱う重量を下げるというのが嫌だなあと思っていてどうしてもこの方法に踏み切れないんだと思っていた。でも、本当は違ったんだ。

本当は、20回がギリギリになる重さを挙げるのは今まで以上にキツイのだ。そして、そのキツさを予感していたから避けていたに違いないのだ。そこに、「重いのを扱わなくなって筋力が下がるの嫌だなあ」っていう理由をつけていた。つまり、自分の中の認知的不協和を、こんな理由をつけることで解消していたのだ。数多くの、結果を出している著名なトレーニーがみんな同じことを言っているにも関わらず。

これに気付いた俺のショックたるや想像できるだろうか?

とか言いながら、実際にはそんなにショックは受けていない。と言うより、ショックを受ける事ができなかったのだ。なぜなら、この新しい方法を試してみたら、これまで感じたことのない程のキツさを体感できたからだ。つまり、気持ちがショックを受けている程の心の余裕を作れるような状態ではいられなかったのだ。キツすぎて。

今日分かったのは、人間は、体が本当にキツイ状態=必死な状態にあると、精神的なショックを受ける事ができない。つまり、精神的なショックを受けるには心身ともにある程度の余裕が必要だという事だ。

これは、今後の自分にとって使える知見かもしれないぞ。いつでもこのトレーニングで追い込んどけば、精神的なショックはもう俺にはやってこないんじゃないか?そう考えると凄い発見だなあとつくづく思うのだ。

何しろ、あんなにキツイ事をこれからもやり続けないとならないんだって事を自分で明確に思いしったわけなんだから。嗚呼、トレーニングが怖い。まんじゅう怖い的な意味じゃなくて。いや本当に。