シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

まだまだ道半ばなのだ

先日、取引先の若手社員に向けて、とあるサービスの講習会を実施した。

こういう時の帰りの車の中では一人反省会が開催される。その日の内容について、『良くできたと思う俺』『グダグダだったと思う俺』『良かったとこも悪かったとこもあると思う俺』などなど、たくさんの俺が対話するようなイメージだ。

そんな講習会の中で、「~の経験した事があるという方、いらっしゃいますか?」と挙手を促した場面があった。内容は、ごく一般的な事だ。おそらく参加者の大半が経験しているようなことだったはすだ。だけど、手は挙がらない。もちろん、手が挙がらなくても進行に問題はないけれど、そこから今日の参加者の傾向を感じとることができるので、その先の進め方に反映させた。

講習会が終わったあと、一人で振り返る中で、この時の事も少し考えてみた。それまでの話で温めきれていなかったのもある、割と大人しめの人が多かったのもある、でも、一番の要因は、手を挙げることが自分にとってどんなメリットがあるのか?という事を感じさせられなかったからではないのか。そんな事に思い至った。

一対一なら、相手に対しての投げ掛けには何らかのリアクションがもらえる事がほとんどだ。きっと会話の内容が自分一人に向けられているというのが明確だからだろう。だけど、一対複数になるとその人数に応じて、「リアクションするのは自分じゃなくても良い」という事になり当事者感は薄れていく。その状況でリアクションをしてもらうなら、メリットによってモチベートされるような事が無ければリアクションは起きないのは当然だ。そんな単純な事ができていなかった。

ノリが良いとか悪いとかの問題じゃなかったなあという事を反省しながら、もしここで手が挙がっていたらその先の展開にどれくらいの効果があったのか。何となく雰囲気が良くなる位しか想定できていなかった自分がそこにいたことを更に反省した。

昔に比べれば、当たり前のようにできる事は増えてはいるけど、まだまだクオリティをあげる余地が有りすぎるのが、大変でもあり楽しくもある。そんな一人反省会。

いつか、「非の打ち所がない内容だった」と言い切れる日はくるのでしょうか。