シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

一見すると似てはいるように見えるけど

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随分前から見かけるようになった“相席屋”なる居酒屋がある。

つい先日、そこに行ってきたという女性の話を聞いた。

 

結果、特に何も無く、無料で飲んで帰ってきただけだという話を聞いたんだけど、その話の流れで「合コンに行くのと同じようなモノ」という事を言っていた。

それを聞いた俺は、咄嗟に異を唱えていた。

 

シオタ:「相席屋と合コンは似て非なるものだ!」

 

その時、俺が話した内容はこんな事だった。

合コンは、必然の中に偶然を求める。でも、相席屋は、偶然と見せかけた必然の中で偶然と見せかけた必然を求める。そんな相席屋に来る男性達と出会いたいのかどうか?と問うてみた。そして帰ってきた答えは、「何を言っているのかわかりません」という答えだった。

 

そこで、もう少し解説を試みた。

合コンは、「参加する」と意思表明をした時点で頭数に入っている。ごく一般的な流れでは、男性陣は男性陣、女性陣は女性陣でメンバーを集める。もちろん、男性陣同志の中でも当日が初対面の人もいれば、女性陣も同じように当日が初対面の人もいる。ノリノリで参加する人もいれば、仕方なく参加する人もいるし、合コンという場が得意な人もいれば苦手な人もいる。でも、参加表明をした全員に言える事は全員が当日参加しないと合コンの会自体が人数が欠けたりすると盛り下がる事になるので、個人がどんなモチベーションであろうとも当日を楽しく過ごそうという気概で参加しなければならないというコンセンサスが形成されるという事だ。これが一般的な合コンの流れであることには異論が無いはずだ。個別の案件ではこの限りではないと思うが、世の中で行われる合コンの7割以上はこの形を守っているはずであろう(俺調べ)。

 

対して、相席屋とはどんなものか。

相席屋は、主に男性が時間制で料金を払い、女性は飲食無料という形態だ。そして、店内にいる男性と女性が文字通り相席になって、意気投合したところで一緒に退店していく。その後は、別の店で一緒に飲み直し親睦を深める事を目的としている。但し、女性は飲食無料なので飲食目当てで来店する女性も多く存在する。これが、相席屋の一般的な利用方法だ。

 

この二つを並べて考えると、全くの“似て非なるモノ”なのだ。

合コンは、参加表明をしてから当日が来るまでにタイムラグがあるのが一般的なのだ。その間に、参加メンバーたちは様々な思案を巡らせる。ある人は、当日着ていく洋服を調達しに行ったり、またある人は当日参加するメンバーと戦略戦術を練る事に余念がない。またある人は、髪の毛を切りに行ったり、努めて平静を装ったりと、各メンバーが凡そ自分で考え着く最善の方法を取る事に余念が無い。そして、合コン当日は、それぞれのモチベーションによって振る舞いが変わってくる。とは言え、「あわよくば自分の好みに合う人や話の合う人がそこにいれば、その先どういう形になるかわからないけど仲良くなるのはやぶさかではない」というモノが多かれ少なかれあるのが合コンだ。つまり、参加を表明した時点で、『合コンに参加する約束という“必然”を持って当日に臨み、そこに参加するであろうまだ見ぬ自分が好意を抱き、自分に好意を寄せてくれるかもしれない人がいれば仲良くなれるかもしれないという“偶然”に期待している』という事だ。

片や、

相席屋に来店する人達はと言えば、基本的には来店する直前のノリが大事になってくる。その多くが一軒目で飲んで勢いがついたところで来店するパターンが多いと聞く。もしくは、無料での飲食を目当てにした女性達だ。相席屋は、前述したとおり、お金を払うのは基本的には男性のみ。しかも、通常の居酒屋よりも割高な料金だ。つまり、女性の無料飲食分を負担しているという事だ。これは、来店する男性客は恐らく全員理解しているだろう。つまり、来店するきっかけはノリだとしても、来店して料金が発生する以上は、女性客と合意の元で一緒に退店して次の店に行きたいはずなのだ。表面上の表現ではどんな言葉を吐いていたとしても(例えば、「俺は、ただそこにいる女の子と一緒に飲みたかっただけだからetc」)、もしそうだとしたら、わざわざ“相席屋”に行く必要が無く、それ以外の場所でその欲求は満たせるはずなので、これらの言い訳は通用しない。もしそこに合意がはかれる女の子がいれば一緒に意気投合して退店したいという本音が丸出しの人間しか相席屋を利用する事はないはずなのだ。どれだけの否定の言葉を用いたとしてもこれは自明の論理なのだ。つまり、(来店する男性は)相席屋に行って通常の居酒屋よりも割高な料金を払う以上、女性達と合意の上で一緒に退店して最悪でも次の店に一緒に行く事を目指すというのが全ての男性客のモチベーションであり”必然”なのだ。そんな必然性を男性客全員が胸に抱えながら、自分の好みの女性客と出会う”偶然”を期待しつつ、万が一自分の好みの女性客に出会えたらその女性客と合意をはかり一緒に退店して次の店に移動するという”更なる偶然”をも期待しているのだ。

 

これが、この2つの似て非なるモノを表す最大の違いなのだ。

 

みなさんはこの2例の『出会い』についてどう考えますか?

 

 

 

ちなみに、こんな話を書いておきながら、俺は“相席屋”に行った事は無い。

金輪際行くつもりも無い。

 

俺を楽しませようとする気持ちを1mmも持ち合わせていない他人に対して、「どうぞ無料で飲み食いして下さい」という気持ちを持てる程、俺は人間できていないのだ。

 

この“相席屋”というシステム自体が、男という生き物の存在をなめ腐っているのではないかと思っている。

 

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