シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

やるんだったら最後までね


f:id:shiotapathos:20181211204503j:image

 

仕事をする上で、積極的に"枠組みに"囚われたがる人達がいる。

 

仕事をする上での分かりやすい枠組みと言えば、KPIがある。

 

key performance indicatorの頭文字を取ってKPI。日本語では『重要業績評価指標』というらしい。前から使われている言葉のようだけど、ここ2~3年で猫も杓子も使うようになった言葉だ。今では、ウチの会社でも使われるようになっている。

 

でも、あくまでも重要業績評価指標なので、重要ではあるが業績を評価する指標に過ぎないのだ。絶対視するものではない。つまり、その先にある最終的に到達すべきところに届かせる為の、成果を出すために、通過する必要のある指標なだけなのだ。


だけど、この言葉には『評価』という言葉が入っているので、囚われたがる人が多数出てくるのだ。


「この指標に届けば評価される」そう考えたがっている人が多いのだ。だけど、本来はその先の成果を生む事が仕事の目的なはずなのだ。


だから、KPIはあくまでも通過点となる指標に過ぎない。


ということは、目的を達成できればKPIは問題では無いはずなのだ。

 

だけど、この逆は無い。「KPIを達成できれば目的なんて問題では無いはず」というロジックは通用しないのだ。そもそも、その目的を達成するために設定されたのがKPIなのだから。

 

じゃあ、何で、KPIの達成だけに囚われてしまう人達が生まれるのか?何で、KPIのために目的が叶わなくなるような方法で物事を進めようとする人達が出てくるのか?

 

それは、

 

KPIを達成する事に全力を注ぐのは簡単だから。単純な話だ。

 

もう少し補足すると、こんな感じだ。
KPIは自分で考えるまでもなく設定されている数値だ。なので、それがどんな業務であったとしても、間違ったやり方をしなければ、それほど難しい事を考えなくても手間と時間をかければ達成できるようになっている。だから、KPIの達成だけに全力を注ぐのはとても簡単な事なのだ。でも、KPIを達成するように動きながら、常に、それがどう目的に叶うのかを考えて修正しながら仕事をするのは多くの人にとっては大変なのだ。

 

だから、


考えるという事をしないで済むように。
「KPI達成するためにやってます」と言えば済むように。
決められた事だけやっていれば済むように。
なにか言われても「決められたことやっただけなんで」と言えば済むように。
責任を引き受けなくて済むように。
できるだけ安全なところで楽をできるように。


自ら進んで、KPIの達成だけに囚われに行っている。そんな風に俺には見えるのだ。

 

一番大事なのは、何のためにそれをやるのか。


ただこれだけなのに。