何もかも上手くいく、その為にどうするか?
「諦めきれぬ事があるなら諦めきれぬと諦める」
俺はこのフレーズが好きだ。
これは、俺が大好きなブルーハーツの歌の歌詞になっているフレーズだ。
歌の題名が思い出せなかったので、今調べたら『泣かないで恋人よ』という題名の歌だった。
俺はこの歌を初めて聞いた時に、このフレーズが大好きになった。
なぜならその頃の俺には、
諦められない事がたくさんあったからだ。
諦められなくて悩むことがたくさんあったからだ。
諦めるべきなのか、諦めずにそのまま進むべきなのか分からないことがたくさんあったからだ。
だけど、この歌を聴いて、諦められない事は諦められないんだと諦めることにした。
諦められる事は、諦めた方が良い事だ。
でも、何をどうしても諦められない事は、諦められないと諦めれば良い。
そして、それを判断するには『客観視』する事が必要だ。
これができるようになれば(もちろんそんな簡単にできるわけじゃないけど)、諦める事ができるようになる。
客観視ができれば、その時、諦める事が適切かどうか分かるようになるのだ。
「諦めたらそこで試合終了です」
「諦めなければ夢は叶う」
もちろん、これはその通りだ。
だけど、一方ではこの言葉の受け取り方を間違えると恐ろしい未来しか待っていない。
40歳をとうに過ぎた俺が、ある日思い立って、今から100m走の公式記録でウサイン・ボルトの記録を抜くことはできない。
いくら俺が「これが夢なんです」と言って、これから人生を懸けて必死に100m走のトレーニングをしても絶対に無理だ。これは間違いない。どれだけハードなトレーニングをしたとしても無理だ。「恐らく無理だろう」ではない。未来のことなのに、絶対に明らかな未来なのだ。だから起きるはずは無い未来なのだ。
当然、まともな人であれば「やる前から諦めるなんて」という事を言う人はいないだろう。
つまり、安西先生の言葉でも、夢を叶える言葉でも、全くの無力どころか害悪になる状況や場面はあるのだ。
だけど、客観視さえできていれば、「諦めたらそこで試合終了です」「諦めなければ夢は叶う」の正しい意味が分かるのだ。
そんな事を、ある人と話をしていて思ったのだ。
「どうしても諦められない」
そう言ったその人に、
「諦められないなら諦められないって諦めたらいいのでは?」
俺にはそれしか言えないし言う必要がないのだろう。
冒頭のフレーズの後にはこう続くのだ。
「諦めきれぬ事があるなら、それはきっと良い事だ」
やっぱりヒロトは天才だし最高だぜ。