シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

未来の人達も機械を使わないと手に入らないのだ


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この土日月は三連休だ。

土曜日の昨日は忘年会で、久々にお酒をたくさん飲んだ。
でも、二次会では、お酒をツマミに水を大量に飲んだ。

珍しいクラフトビールを一口飲んでは、コップ一杯の水を飲む。毎回の一口がずっと美味い。
なんでそんな事をしていたかと言えば、二日酔いになる訳にはいかなかったからだ。
もちろん、忘年会の前にはドラッグストアで二日酔い対策のドリンクを飲んでから臨んだ。
日曜日の今日は、朝から車を長距離運転する予定があったからだ。

片道凡そ200kmの道のりを運転して、実家に遊びに来た。年末年始には恐らく実家に帰る事ができなさそうだからという理由からだ。

しかし、昨日あれだけ二日酔い対策をしたにも関わらず、朝起きたら軽い頭痛と強めの疲労感。
体が起床するのを拒むくらいにはダメージを感じる。
昨日のお酒と、忘年会前にジムに行ってやった筋トレのダメージだ。

とは言え、お酒のダメージはそれほど大したことは無い。軽い頭痛程度で済んでいるはずだ。
大きなダメージは、昨日のデッドリフトから始めた下背部と大胸筋と肩の筋トレの疲労感がめちゃくちゃに強い。
恐らく、この頭痛の何割かは寝不足で疲労回復していない事が理由のはずだ。

高速道路を走って第一の目的地に向かう。
三連休の中日だからなのか、いつも混んでいる首都高がとても空いている。予想よりも到着時感が早まりそうだ。

だいぶ早く到着したので、時間調整も兼ねて近場の巨大ショッピングモールに寄った。一緒に乗っていた家族は、そこで朝食と昼食を兼ねて何かを食べる事を画策している。
俺は、その時間に、車の中で寝ることにした。


「体が苦しい。このままだと苦しくて潰されそうだ!」
とてつもない危機と恐怖を感じて、そんな事を思いながら目が覚めた。

どうやら、車のシートを少しだけ後ろに倒した状態で座ったまま寝てた事が原因のようだ。その証明かのように、腰も脚も足先までが何だか詰まっているような嫌な感覚が強くある。もちろん筋肉痛もあるが、疲労感や張りや倦怠感が全て合わさった上で、体の中に何かを詰め込まれてうまく動かせないような感覚だ。
慌てて、車から降りて伸びをして、軽く体を動かしていると、ようやくその嫌な感覚をリセットできた。

脚も体も全身を伸ばして眠る事ができるというのが、一体どれだけ贅沢な事だったのか。
時々、風邪をひいたりした時にもよく思うけど、いわゆる『健康のありがたみ』というのをまさかこんな旅の途中で感じる事になるなんて思いもしなかった。

眠い時にただ眠る、それだけでも贅沢な事だ。
眠くても寝られない状態の時、今日の運転中もそう思った。
しばらくお酒を飲んでいないと、お酒を飲めるありがたさを知る。
美味しいご飯を食べると、美味しいものが食べられるありがたさを知る。
とても寒い所にいる時に、暖をとれる事のありがたさを知る。
とてもお腹が空いてる時に、ご飯を食べられるありがたさを知る。
しばらくお風呂に入れない時が続くと、お風呂のありがたさを知る。
そんな、色んな事のありがたさを、何かの折に感じる事は、思い出すと今までにもたくさんあった。

だけど、

今日感じた『脚を伸ばして寝られるありがたさ』は、まず、恐怖ありきで感じた事だ。
だから、強く印象に残ってる。
恐らく、今後も様々な場面で思い起こす事があると思うくらい個人的には強烈な体験だった。

恐怖と共に考えたことはそう簡単には忘れない。

そんな、今までに感じたことの無いような新たな感覚を手に入れた。何か新しい感動が生まれるような感覚では全然無いけれど、生命や身体の安全を脅かされた時に感じるセンサーの感度が上がったような、ある意味では自分にとって生きていくために必要な何かが開いたのかもしれないなあ。

そんな事を考えるきっかけになった道中だった。


「車の中で寝ちゃったらスゲー寝づらくて目が覚めちゃった」
という、文書にもならないどうでも良いような一言ですら、こうやって書いてみると、俺にとっては大事な瞬間だったのかもしれないと思うことができる。そんな文章を書きながら、三連休最終日のクリスマスイブに突入しました。

それでは、おやすみなさい。