シオタの塩分過多な日常

シオタです。「しょっぱい自分が、塩分過多な毎日をどう過ごし、いかに楽しく生きていくか」がテーマです

実世界に於けるロスインゴベルナブレス


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やらなければいけない事がある時に、邪魔になるモノがある。

それは、いつやってくるのか、どうしてやってくるのかハッキリとは分からない。
だけど、いつの間にか、と言うより、気が付かないうちにやってきて、気が付かないうちに邪魔をして、すっと通りすぎていく事が多い。

そんな厄介なモノ。
それは、感情だ。

やらなければならない事がある時に、これ程厄介なモノはない。
どんな感情が起きようが、本来は淡々と粛々と進めていかないといけないはずなのに、感情が沸き起こると途端に行動がおかしくなる。

とは言え、感情の全てが邪魔なのかと言えばそういう訳でもなく、行動がモチベートされる行動もあるので一概に邪魔だというわけでもない。
だからこそ、厄介だとも言えるのだけど。

やらなければならない事がある時に、いかに感情に流されず、惑わされず、事を為すために適切な行動をとるのか。

これをやるには、自分の中で起きている感情を冷静に見つめて、どんなモノがそこに起きているのかを、カッコ悪くても情けなくてもみっともなくても、しっかりそれを受け入れて、なぜその感情が起きたのかの理由を分析して、行動を起こす必要がある。

己の頭の中を、感情に支配されてその状態で行動をしてしまい後悔した事はこれまでに何度も何度もあったはずなのに。それで物事が上手く進んだ事なんてなかったはずなのに。だったら、その感情は己が制御して、やらなければならない事を行う為に利用するのが最も賢いやり方なのだ。

それは分かっていても、どうしてもその時に沸き起こった感情を優先させたい、そんな時もたくさんある。だけど、その感情を優先させる事が何を差し置いても絶対にやらなければならない自分にとって最も重要な事なのか、それをいつでも自分に問いかける必要がある。

それだけの覚悟を持って、それでもなお、その感情を優先させた行動をとる必要があるのか?

そんな、己の問いに堂々と「yes」と答えられる場合には、その感情は何よりも優先される必要があるのかもしれない。そうであれば、その時以降の時点でその行動を後悔する事は無いはずだからだ。

もし、その問いに「yes」と答えられないのなら、いや、その問いかけすらしていない行動は、感情に支配されてしまった自分の姿をしているだけの何かが条件反射で起こしただけの、何の意味も持たないような行動なのかもしれない。

そんな、感情に動かされているだけの得たいの知れない何の意味も持たない行動に対して、後付けで意味を持たせようとすると、訳の分からない行動をした上に訳の分からない事を言う訳の分からない人になっていくんだろう。

そうして出来上がるのは、まるで妖怪のような理解不能で、制御不能なヤツラなのかもしれない。